信長公の陣跡で歴史探訪。
虎御前山城跡(織田信長陣地跡)の特徴
織田信長が築いた虎御前山城は、小谷城攻略を目指した戦略的な陣城です。
歴史的な遺構が豊富で、信長や秀吉の足跡を辿れる貴重な場所となっています。
景色が素晴らしく、小谷城を正面に望むビューポイントも魅力的です。
信長公も虎御前山から見たであろう小谷城を見たくて出かけました1570年の姉川合戦後、72年に小谷城を攻略するために信長公が築かせた山城です「信長公記」小谷攻城時に虎御前山の記述があります木下藤吉郎を城番として置いた為か、信長公陣跡、木下藤吉郎陣跡周辺に最も遺構が見られます小谷城攻略後は廃城されました南側の登山口に駐車場あり、トイレもありますハイキングコースとして整備されてます矢合神社を過ぎ、古墳群を見ながら進みます電波塔を過ぎ階段を登ると広場に着き、中央に滝川一益の陣跡の石碑がありますが遺構は無いです広場を後に進むとゲートがあり、そのままアスファルトの道を更に進みます堀秀政の陣跡に着きます次が信長公の陣跡ですここが最高地点で下ると信長公馬場があります馬場を後に下ると木下藤吉郎の陣跡、さらに下だって行くと柴田勝家陣跡、更にしばらく下ると小谷城ビューポイントです(表示あり)見通しが良く小谷城が正面に見えます近いです!人の動きが互いに見えたでしょうね!信長公の陣跡、木下藤吉郎陣跡周辺は横堀、竪堀、土塁、犬走りなどの遺構が確認できます整備されていて、表示もあるのでとてもわかりやすいです縦走して北側に下ることもできるようですが、ビューポイントまで行って引き返しました矢合神社から遺構を見ながらビューポイントまでおよそ1時間(歩くだけなら40分程度だと思います)
小谷城を攻める為に作った城ですが、城域も広く遺構も色々ありました。沢山の武将の陣地跡があり、往時を偲びながら歩きました。
感動しました。浅井との同盟を反故にされた怒りは如何程か、その怒りは、この虎御前山に見られるように思います。周りには織田家の重臣を配置し、竪堀、横堀、土塁を配し、曲輪の周りには帯曲輪(犬走り)もあり、最前線には、羽柴秀吉を配置して、総攻撃で攻め落とし、浅井家は滅亡しています。秀吉の最前線の一つ後ろに信長の陣跡はあります。虎御前山の最高点にあります。その前にいる秀吉の攻撃を後ろから見守っていたと考えると、臨場感を感じます。
景色が良かったです。僕は虎姫方面から登ったんですが、30分もかかりませんのでいいハイキングになりますよ(^-^)
歩いて60分という様な書き込みもありますが、虎御前山展望台まで車で行けるので、そこからだと歩いて30分もかからずここまでたどり着けます。道も整備されているので、難易度は低いです。自分は夏に行ったのですが、難は「メマトイ」。顔にまとわりついて来て本当にうっとうしい。虫除け等対策は絶対必要です。
東尾根の北側と南側に竪土塁があり、周回しました。南側竪土塁は所々にリボンがあり、迷わないが、北側竪土塁はリボンもなく難しい。ほとんど藪なので竪土塁の盛り上がりだけが頼り。麓の墓地付近で土塁が切れていて虎口状となる。竪土塁は谷を挟むように取り巻く2021年11月29日探索した馬《●▲●》助ヒヒーン♪
南北に長い丘陵のところどころに平坦地を設け、織田方諸将が小谷城に対する陣を構えている。一番高所に最も広い曲輪があり、そこが信長の陣と推定されている。陣跡は予想以上に残っていて驚いた。小谷城の山もよく見える。
この山から小谷城攻略を秀吉や信長が練って、出陣していった。
虎御前山公園に車を停めて、そこから山道歩いて60分後程度でたどり着きました。陣地跡で石垣島等は一切ない、ただの小さな広場になってます。
名前 |
虎御前山城跡(織田信長陣地跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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虎御前山の山頂部には織田信長本陣が敷かれました。織田信長本陣は加工されており、枡形虎口や帯郭、犬走り、馬場などが確認できます。また曲輪も広く、三方は鋭い切岸となっています。虎御前山城の中心としてふさわしい陣地です。