長い参道を進む八幡様。
船路八幡宮(旧御坂神社)の特徴
船路八幡宮は長い参道が特徴的で、静かに参拝できます。
芝桜が美しいお旅所があり、訪れる価値ありです。
古い神様を祀る郷社として、歴史を感じる場所です。
昨年もお参りさせていただき、今年も無事にお伺いすることができました。昨年、船路八幡宮様とのご縁をいただいてから、家の中の悩み事が次々と解消され、そのお力添えに心から感謝しております。今年はそのお礼と、新たなお願いごとをさせていただきました。なにより、こちらの宮司様とお話しさせていただくと、不思議と力が湧いてきます!船路八幡宮さんはもちろんですが、宮司様とお会いできること自体が私にとってのパワースポットです!!親身に、そして気さくにお話ししてくださるので、心がとても軽くなります。またお参りし、お話しさせていただけるのを楽しみにしております!
船路八幡宮(ふなじはちまんぐう)。山口県山口市徳地船路。式内社(小)御坂神社論社、旧県社。【祭神】道反大神 (配祀)八幡大神 羽明玉命資料によると、創建年代は不詳。この船路の地の彌坂山に出現した神を祀ったことが始まりだという。彌坂山は不詳だが、一説に現社殿背後よりさらに奥の山とも。一方で、社伝によれば、第12代景行天皇が周防娑磨に行幸した際、三綱柏に御饌を包み、川蜷(カワニナ)を供して祭祀したのに始まるとも。当社の神紋は三綱柏、現在は9月最終日曜日に行われる例祭には、カワニナが献供されるという。主祭神は道返大神。もとは現在地の西方の谷、陽悦山麓上野の地に鎮座していたが、平安時代の永保3年(1083年)に焼失した。そこで、川向いの下庄上野原に再建。久寿2年(1155年)、御桶代の寄進があった。鎌倉時代の寛元2年(1244年)、社司上野家の祖先にあたる藤原貞光が八幡神(応神天皇)を勧請した。戦国時代の応仁元年(1467年)、洪水により、現在地に遷座、社殿が造営された。その後、文明14年(1482年)にも造営の記録が残る江戸時代から、同じく山口市徳地にある三坂神社と、式内御坂神社として論争があった。三坂神社では文書等の記録がなく、敗訴状態であったが、藩主の崇敬があり盛んであった。明治になり、明治4年、県の決定により、その三坂神社が式内社に決定。当社は、改称を命ぜられ、八幡宮と称するようになった。寛元二年(1244)に勧請された、祭神の應神天皇を、以降は主祭神にするように命じられた。その後も、当社では、道反大神を主に祭祀を継続しているという。とあります。
水曜日に行けたら行きます御朱印いただきに。
のどかな田園地帯にある神社。御神木が立派です。駐車スペースは、鳥居の近くに辛うじて1台分のスペースがあります。御朱印は、正月のみの頒布になるようです。
八幡宮、(式内社)旧号御坂神社 のち八幡宮に改号、 郷社。 御祭神 道返大神 応神天皇 羽明玉命景行天皇ゆかりの地。本社は「式内御坂神社」と称していた。社伝には「道返神大国主神二神同躰の神秘也、天穂日命筑紫より出雲に到り玉う時當弥坂山に出顕し玉ひ、人皇十二代景行天皇周防。
佐波川の川岸にあるお旅所から、長ーい参道が続きます。この神社では「三礼四拍手一拝」でお参りします。
船路八幡宮の芝桜です。もう5、6年になりますでしょうか。神社のすぐ横の方が植えてくださいました。ご自分の田んぼが神社に隣接しており、田んぼの畦の芝桜も一緒に堪能できます。神社の境内に弁当持参で花見を楽しまれるご婦人もあります。花の香りが陽だまりに懐かしく広がります。人間のふるさとに帰ってきた居心地がします。
古い神様を祀ってます。三礼四拍手一礼と珍しいです。御朱印はありません。
国道より細長い参道が続いた先の山裾にある八幡さま。茨城で、参道の長さは神威を表すと聞いたことを長い参道を見て思い出しました。御坂神社の式内論社になるそうです。
| 名前 |
船路八幡宮(旧御坂神社) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
080-3655-0617 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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悪縁切り神社と知り、何回か参拝しに行ってます。神主さんが居られる時は、色々とお話しをさせてもらってます。歴史が、2000年続く神社だそうです。去年から船路八幡宮の御守りを身に付けてますが、年も変わり新しく授かりました。レースの御守り、勾玉、縁結び。縁結びの御守りは、奥様の手作りだそうです。素敵な、縁結びの御守りです😊また、参拝に行かせてもらいます。