悲劇と希望の鎌原観音堂。
鎌原観音堂の特徴
日本のポンペイと呼ばれる鎌原観音堂は、歴史的にも重要な場所です。
天明の浅間山噴火で村が壊滅した際、避難所となった観音堂の石段が印象的です。
整備された観音堂では、災害の歴史を伝える貴重な資料も見ることができます。
天明の浅間山の大噴火の際に、村で唯一残った建物で、当時高台にあったこの観音堂の石段を駆け上がり、九死に一生を得た村人はほんの一握りで、50数段もあつた石段が、土石なだれに襲われて10数段になってしまつたと言うのだから凄まじい…。
衝撃的な写真なども飾られており、色々考えさせられます。あまり広くないですが、裏に資料館などもあるので立ち寄ってみる価値はあります。
整備されていて、売店もありました。裏に資料館があり歩いて行けました。そちらを見てから行くと歴史がよくわかります。
日本のポンペイと呼ばれるかつての鎌原村の観音様があるところ。橋の下のかつての階段から噴火の威力に想いを馳せるのも良いかと。近くに資料館的な建物もあり学ぶことができる。
鎌原観音堂は、1783年の浅間山大噴火の際に、93名を守った奇跡の場所として知られています。50段ある階段の下の方で、女性が年上の女性を背負ったまま亡くなっていたそうです。お母さんと娘さんなのかな?背負って助けたようとしてたのだろうと想像出来ます。何百年も前から今も変わらない同じ人間であり、思いやりも存在していて、このエピソードにうるっと来てしまいました😢ここで起きた出来事は、防災意識の向上や歴史遺産の保存など、現代と未来の人達に語り継ぎ活かすべき場所だなと個人的に感じました。最近災害が多い中で、先人の残した知恵や教訓が月日が経つにつれ、埋もれ忘れられたりしてます。それらを掘り起こし、情報を整理して災害に有効な情報を受け継いで、未来の災害対策が出来るよう、ここに訪れた1人1人が気付けるきっかけの場になればと感じました。
鎌原(かんばら)観音堂は悲劇のお堂で有るが希望のお堂でも有る。江戸時代、浅間山の大噴火でここ鎌原地区は一瞬にして数メーターの地下に埋まってしまった。その時に少し高台に有るこの観音堂に避難できた90人あまりは助かったが500人は家屋、家畜もろとも埋まってしまった。観音堂の階段も50段のうち35段が埋まってしまった。埋没した階段の下部には義母を背負ったお嫁さんの白骨が見つかった。自分一人なら助かっただろうが義母を見捨ることは出来なかったのであろう。涙を誘う。生き残った人達はこの地を見捨てること無く幕府、近隣地区の支援により多くの人が眠るこの地で復興を果たした。つまりこの観音堂は希望のお堂でもある。合掌。
江戸時代の浅間山噴火の恐ろしさを先日のブラタモリセレクション(再放送)で知り10年以上ぶりに鬼押出し園とテレビで知ったこちらには初めて来訪しました。5〜6メートルもの土石流れ(火砕流ほど高温ではない模様)に町が埋まってしまうという大災害があった痕跡を見ることができます。発掘調査の結果階段は全50段、地表面で15段、橋の下に数段の埋没階段が見られます。近くの嬬恋郷土資料館を見学してから行くことをおすすめします。
パンフレットで観光スポットを探していたら観音堂が掲載されていたので訪れました。浅間山の噴火で被災した鎌原村の歴史に触れることができて、良い経験になりました。次回は郷土資料館に寄ってみます。
日本のポンペイと呼称される鎌原観音堂及び集落を、ジオガイドの説明でじっくり回りました。火砕流により集落が覆われてしまい、観音堂の階段までたどり着いた、女性と老婆の遺骨を発掘したのを見て、改めて噴火の恐ろしさを感じました。
名前 |
鎌原観音堂 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0279-97-3852 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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まさに日本のポンペイ。発掘された焼けた建物… 埋もれた階段、そしてその途中で見つかった人の写真など、遠くに見える浅間山と合わせて自然の大きさ、恐ろしさを感じました。旅の途中、たまたま見かけて訪問しましたが、見逃さなくてよかった。次回は是非隣の博物館にも伺いたいです。ブラタモリでも来られていたようですね。