善光寺近く、静寂の武井神社。
武井神社の特徴
善光寺のメイン参道から少し離れ、趣のある神社です。
社殿は新しく美しく、歴史を感じさせる荘厳さがあります。
御朱印は美和神社、建御名方富命彦神別神社と兼務しています。
善光寺のメイン参道から少し離れた趣のある神社です。当日は結婚式にて、御朱印は書き置きでしたが受付の呼鈴を押したら受付の方に丁寧に応対して頂きました。駐車場は参拝者が利用できるか不明です。
6月中旬に久しぶりに訪れました。以前訪れた時は不在で、御朱印はいただけませんでしたが、今回、ピンポーン押したら対応していただけ、書置きだが 、当社と美和神社を拝受。建御名方富命彦神別神社は、宮司不在のためいただけなかったので、またの機会に。
孫の七五三で伺いました!宮司さんが丁寧で二組づつを神社内に入れ、お祓いして頂けます。雷電為右衛門の力石もあり、孫がすくすく育ってくれることを祈るジィジの一日でした!
諏訪大社御柱大祭と同じ寅年と申年に「武井神社•妻科神社•湯福神社」の善光寺三鎮守に「健御名方富命彦神別神社」を加えた四社が交替で御柱祭を行う慣わしだそうです。2022年の御役目が健御名方富命彦神別神社で、24年ぶりの御柱祭が開催されました。
長野市長野東町に鎮座する武井神社です。妻科神社・湯福神社とともに善光寺三鎮守と言われます。御祭神は健御名方神、相殿に妃の八坂刀売神と御子神の彦神別神を祀ります。創建は、持統5年(692)頃と伝えられますが定かではありません。有り難く、“武井神社”の御朱印を頂きました。
善光寺三鎮守の一社、武井神社、広い境内の中に美しい社殿、三鎮守の一社で有る事から、長い歴史をを感じさせる古く荘厳な、そんな社殿を予想していましたが、社はまだ新しく美しく輝き、令和と共に新たな歴史を歩み始めていました。その中にも境内に残る数々の欅の御神木や、古い幾つかの末社は、さすがに善光寺三鎮守の一社、そのたたずまいにいにしえの長い歴史を感じる事が出来ました。
武井神社(善光寺七社/善光寺三鎮守)。主祭神は建御名方命。妻科神社・湯福神社とともに善光寺三鎮守と言われている。
朝さんぽ♪朝は人も少なくてゆっくり参拝出来ました(*^^*)清々しい気持ちになりました♪善光寺三鎮守、 善光寺七社の一社なんですね(*´∀`*)(2021/5)
善光寺表参道の東、国道406号に面して鎮座。妻科神社(式内社)、湯福神社とともに善光寺三鎮守の一社。境内の由緒案内には創建時期などは書かれていないが、一説には持統天皇の御代の創建という古社。社名の由来についてはいろいろな説があるが、諏訪大社と同様の神事(御射山祭、御柱祭)が当社でも伝わっていることから、個人的には諏訪大社下社の武居祝(今井氏)による神社ではないかと思う。現在のご祭神は建御名方命を主祭神としているが、武居祝による創祀だとすると、武居祝の祖神である武居大伴主神かその御子神(武居恵比寿神)が当初の祭神であったかもしれない。武居大伴主神は建御名方神が諏訪に入る前の神であると考えられていて、洩矢神とともに建御名方神の諏訪入りを拒否し、迎え撃つが敗れてしまい、建御名方神に仕えることになったという伝承がある。御子神という武居恵比寿神の恵比寿も夷(蝦夷)の意味なのだろう。ちなみに諏訪大社上社の大祝は建御名方神の後裔である諏訪氏、その下の神長(かんのおさ)には洩矢神の後裔の守矢氏。諏訪大社下社の大祝は当初、多氏系の科野国造である金刺氏、その下の五官の筆頭は武居大伴主神の後裔の武居氏だった。
名前 |
武井神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
026-232-2838 |
住所 |
|
HP | |
評価 |
4.1 |
周辺のオススメ

善光寺から歩いて訪問。鳥居の大きさの割には、中が寂れているように感じました。建御名方命を祀っている神社です。