平安時代からの御由緒、彦佐須伎神社。
彦(比古)佐須岐神社の特徴
神武天皇の祖父である天彦火々出見命を奉る神社です。
平安時代に建立された歴史ある延喜式内社です。
備後國沼隈郡に位置する彦佐須伎神社の由緒があります。
彦佐須伎神社(ひこさすきじんじゃ)。広島県福山市瀬戸町大字長和。式内社(小)、旧社格不明。【祭神】天彦火々出見命 大己貴命 大山祇命 奥津比古命 奥津比賣命 落神資料によると、式内社・比古佐湏伎神社に比定される古社。元は、現在地から南東に2Kmにある彦山(430m)の中腹にあったが、明治20年、竃神社境内であった現在地に遷座し、明治43年に竃神社と、その境内社だった二宮神社・落神社、拝立神社、桧木神社、山神社二社を合祀した。元の祭神は、彦狭島命であったが、遷座以降、天彦火々出見命になったという。『式内社調査報告』によると、当地は吉備の海部の居所であり、その祖神・彦狭島命を祀ったもの。彦狭島命は、孝霊天皇の御子。『古事記』では日子寤間命。とあります。
御祭神 天彦火々出見命(神武天皇の祖父に当たられるお方と伝えられる)御由緒この神社は平安時代西暦千九百十七年前(今からおよそ千九十七年前)延喜式内社として、沼隈郡長和村に建立し奉る。元は、彦山の中腹に社領拾貫、土地四丁五反とを有し鎮座されていたが、福島正則公の時、社領召し上げられ明治二十年九月広島県知事の認可を得て現在地長和落(おさ)に移転した。古くから水野公、安倍公の崇敬浅からず例祭には藩主の参拝があり、御初穂三百匹、大刀一腰、御具足五領、御長柄拾筋、陣太鼓、等約百貳拾五点の献上品の寄進があった。延喜しき内社とは延喜年間より国が官社として当時全国の主だった神社を国の神名帳に登載され国家から特別な待遇を受けていたもので旧沼隈郡には国幣小社沼名前神社(鞆)、今津の高諸神社と長和の彦佐須神社である。現在は氏子・子ども会等により神興渡御が賑やかに行われている。平成十年十月設置境内案内より。
| 名前 |
彦(比古)佐須岐神社 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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式内社 備後國沼隈郡 比古佐須岐神社。