妙見寺奥の院で感じる非日常。
妙見尊(北辰妙見宮)の特徴
無人の神社ですが、石階段からの風景が本当に美しいです。
妙見寺の奥の院であるため、訪れる価値のある貴重な場所です。
山道を登るごとに感じる、満ち溢れるパワーが魅力です。
妙見寺山門手前左手にある階段を登っていくとある無人の神社。
石階段からの風景が綺麗です。北辰妙見尊の裏手から「ゆうしの里山」方面へと道が続いていますが、南東側に急な崖地があります。通る際は滑落に気を付けて下さい。
2023.8妙見寺の奥の院にあたる場所。開基は妙見寺より古い。それなりに急な石段を5分ほど登ると到着です。
東京都下は稲城市の里山に鎮座します「北辰妙見尊」です。下の妙見寺との神仏習合の神社です。今も神仏習合を残す神社です。創建年は不明ですが天平宝字四年(760年)奈良時代後期もしくは天永三年(1112年)平安時代後期と考えられているとか。妙見宮宮殿(本殿)は江戸時代前期の元禄十六年(1703年)に建立されたらしいです。長い階段を登った所に有ります。眺めの良い場所でも有りました。北辰(妙見)信仰は「鎌倉殿の13人」でもお馴染みの桓武平氏の武家平氏・千葉氏も信仰しました。また、妙見信仰は剣術・北辰一刀流とも深く関わりが有ります。(*千葉氏はこの神社とは直接関わりは有りません。千葉氏の本貫は下総国ですので)勿論下の妙見寺と合わせて見学しましょう。東京都に有って非常に落ち着く場所でしたね。御神木の大樹も有ります。
かなり山道を登ります。
神仏習合を良く残した神社。階段がキツい。境内の目についた石造物などの観察情報を記す。【手水石】明治十一年二月健之銘。石工は,溝ノ口の内藤畱五郎(内藤留五郎)。星祭講中及び村内中の奉納。正面に「水垢無」と刻むのが珍しい。実用的というかなんというか……。また,脚台部分が童子になっているが、これも神仏習合の名残であろう。関東南部では,あまり見かけたことがない。【筆塚】稲城市指定文化財。案内板あり。文政六年健之銘。石工は,関長右衛門。裏面に百瀬雲元の門人と思われる連名あり。正面に刻字あり。禁書は百瀬雲元。変体仮名混じり。草書。以下,刻字を転写する。夫書筆の道の編く菅公を祖と学ぶ事然り予ハ(は)比所乃(の)産尓して百瀬耕元の流連を継東都尓(に)書を弄ふ事久し門人一千余人尓(に)及遍(へ)り仍今年癸未の春紅梅(※異体字。「木」の下に「毎」の字を書く)を以尊像を刻ミ石越(を)もて宮を造り菅神を安置し傍尓(に)廃筆を埋筆塚を建其事を誌能(の)ミ(み)文政六年季春百雲元源久道建之良く探せていないだけかもしれないが、碑文にある菅原道真を安置した宮は周囲に見当たらない。【社殿】稲城市指定文化財。案内板あり。棟札より元禄十六年建立と判明しているそうで、市内で四番目に古い神社建築物とのこと。ただ、基礎土台屋根に明らかな現代技術の残痕が見られ、かなりの修復が入っていることが分かる。構造は、案内板では「一間流造」と紹介されているが、一間の日吉造に、新明造の後殿を接続したものに見える。唐破風屋根付。丸柱。木鼻の彫刻が細かい。また、鈴ではなく鰐口が掲げられており,ここにも神仏習合の形跡を感じられる。
満ち溢れるパワーにおののきます。不思議な鳥居に神事で開眼されたヘビ頭の風格ときたら!手に汗にぎる体験スポット。
2019/8/10参拝 神仏習合の名残が色濃く残っている貴重な場所。急な石段を登って到着。途中には妙見寺の境内とも接する場所も残っています。
妙見寺奥の院。北辰妙見尊のお堂がある。
| 名前 |
妙見尊(北辰妙見宮) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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天気が悪かったため、雰囲気に負けて途中で離脱…それだけ非日常感が凄かったです。晴れの日に再チャレンジ?