不開門が魅せる歴史の光!
光徳寺の特徴
不開門が印象的で、立派な仏舎利を備えたお寺です。
芦田古町の南嶽山に位置し、歴史ある曹洞宗の寺院です。
参拝から眺める芦田城跡と浅間山の景色が美しいです。
立派なお寺、不開門がカッコいい!
かれこれ50年近く初詣で訪れていますが、鐘をつけないことや年越しそばが食べられなかったことは今年が初めてだっただけに少し寂しい気がしました。大きな焚き木を準備して待っていてくださるので、ほっとすることができました。竹を切った灯籠が設置されている姿が幻想的でした。
芦田古町に南嶽山(龍田山)光徳寺という曹洞宗の寺院があります。鎌倉時代から続く芦田城の城下町(古町)にある禅寺です。芦田川を挟んで芦田城と対になっているような位置関係にあります。この寺の数奇な運命を訪ねてみましょう。光徳寺は、1470年に芦田城の二代城主の芦田右衛門太郎光玄が、父の芦田備前守光徳の菩提を弔うために建立したそうです。当初は現在より東側の居館の傍らにあったようです。その後幾多の変遷を経て、1716年(正徳年間)、現在の地に再建されたといわれています。徳川幕藩体制になってから芦田古町の光徳寺は、小諸藩主仙谷家によって寺領や堂宇を没収され、解体されてしまったようです。小諸城の改修やら藩庁の建設のために仙谷家は膨大な出費と資材の調達を強いられたのが直接の原因と見られます。解体された寺の建材は小諸城再構築や藩庁建設のために用いられたとみられます。光徳寺が破却された背景には、芦田家(松平家)が信濃から上州に移ってしまい、しかも藤岡領主として康貞が改易処分を受けたため、寺院を保護する後ろ盾が失われたため荒廃していたという事情もありそうです。1615年頃、康貞と越前に同行してた猶国和尚が暇を乞うて芦田の地に帰郷して芦田家先祖の菩提寺を再建したそうです。しかしその後、光徳寺は荒廃してしまい、1716年になって現在地で復興されたということです。
芦田城跡からお寺と芦田城城主の墓所が見えて、お寺からは芦田城跡や浅間山が見えました。ご住職から芦田氏の話を聞き、芦田備前守光徳公のお墓にもお参りさせていただきました。丹波(京都府・兵庫県)には信濃国にルーツを持つ、芦田氏や蘆田氏が多くあります。元内閣総理大臣の芦田均氏や、今では芦田愛菜ちゃんもその芦田氏になります。
曹洞宗の光徳寺はこの地方の豪族であった「芦田氏」の菩提寺として建立された歴史を持っている寺院です。芦田氏が他地に移封された時に光徳寺も併せて移設されたとの事ですが、本家菩提寺として細々と行き残ってきたんだと思います。皇室等の重要人物を迎える時だけに開く「不開門」は木彫刻がとても立派で当寺の格と歴史の深さを伝えています。(文化財にも指定されている建物です)、しかし立科町のこんな場所に高貴な方の訪問があったのかは疑問ですが……😅その他、本堂を始めとして、鐘楼や各種堂宇も立派です。
参拝させていただきました。ありがとうございました。南無釈迦牟尼仏。
毎年、2年参りの時に利用させていただいています。昨年と比べると照明がLEDになってかなり明るくなりました。トラック販売の屋台も境内に出店されていました。お寺としては珍しい光景だと思いました。2年参りの時には境内で温かい年越しそばをたき火にあたりながら鐘をつくのが恒例となっています。趣があってよいますお寺だと思います。
襖に書かれた字か『素晴らしいです』
国道142号線から白樺湖方面を目指すと右手に観音様が見えてきます。『南嶽山光徳寺』曹洞宗の禅寺です。駐車場に車を停め、山門を潜って驚きました。中門に位置する『開かずの門』その彫刻にビックリ。是非ご自分の目で確かめてみてください。
名前 |
光徳寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0267-56-1193 |
住所 |
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評価 |
3.7 |
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不開門が珍しく、仏舎利など立派なお寺でした。