古墳半田塚で歴史の扉を開こう。
半田塚の特徴
かつて大きな古墳だった歴史が感じられます。
菅原天神どうりの信号機交差点付近にあります。
古墳半田塚という名称が目を引きます。
菅原天神通り沿いにある小さな塚。入口の柵には鍵が掛かっており中には入れません。昔は大きな塚でお稲荷様が祀られていたそうで、古老の話では大正時代までは「大塚さま」と呼ばれていたそう。塚には現在、「古墳」と彫られた石碑が立っていますが本当に古墳であったかは不明。伝承では分倍河原合戦で負傷した新田義貞側の将兵がこの地まで逃れたがその傷が原因て亡くなり、それを葬ったのがこの半田塚である等、由来は諸説あります。この半田塚前を通る菅原天神通りや途中で合流する松原大山通りは甲州街道から上町の矢倉沢往還へ抜ける古道だったり、さらに東側を並行して南北に通る梅ヶ丘中学校や北沢税務署前を抜ける区役所通りは鎌倉道の脇道又は鎌倉道そのものであったり、この塚からちょっと離れた三軒茶屋から世田谷代田方面へ延びる南北の道も鎌倉道、淡島通りと環七の交差点にある小田急のバス車庫裏手を南北に僅かに残る道も鎌倉道の名残り、更には赤堤通りも古道、上町から経堂駅下を抜ける道は滝坂道という甲州街道開削前に江戸から甲州へ抜ける街道だったりと、とにかくこの辺りは中世に吉良氏が治めた世田谷城下を中心に古道があちこちに残っています。そしてこの半田塚の南は現在は暗渠となった北沢川が南西から東に流れており、その河岸段丘上に塚があるというのも古墳とまでは言わなくても、誰かを葬った塚である可能性はあるかなぁ…と思います。古道が近くを通り、見通しの良い段丘上に古墳や塚は作られることが多いので(例えば…代官山の猿楽塚、芝公園の芝丸山古墳、もっと言えば世界最大の古墳である大仙古墳などもそうです)。まぁでも今ではその「大塚さま」も猫の額ほどの大きさになり、住宅地の中にポツンとある姿からは往時を全く偲ぶことが出来ません。
かつての古墳。
その歴史を語る説明文の書かれた看板があります。石碑は鍵がかかっているので外側から見られるのみです。
かつては大きな古墳だったようだ。塚の上には「大塚様」という祠があって、ご神体は錆びた刀だったという話である。
「何人ノ墳ナリヤ ソノ来由ヲ伝ヘザレバ、詳ナルコトヲ知ラズ」と書かれています。誰の墓なんだか、詳しいことはわからん・・・という事ですね。
菅原天神どうりの信号機交差点付近にぽつんとある、古墳跡の史跡です。詳細は現地案内板を参照して頂ければ幸いです。
古墳半田塚と書いてある。菅原天神通りの南向きの斜面の上にある。
| 名前 |
半田塚 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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明治末頃の地図(今昔マップ)で見つけた「半田塚」を見に行った。新編武蔵風土記稿の松原村に「半田塚」が取り上げられ、小名(地名)の起源で、高さ4~5尺、敷地の径1間ほどだが誰の塚であるかなど由緒不明だとする。菅原天神通りを南に下った場所にある。