関所跡で歴史を感じる二人旅。
杉坂峠関所跡の特徴
関所跡は兵庫県南西部の重要な交通地点です。
鎌倉時代には関所が置かれていた歴史的な場所です。
兵庫県から右側の山の中腹に位置している切通しです。
この場所を関所跡としていますが 関所跡は切通の兵庫県から言ったら右側の山の中腹にあったと考えられています。杉坂史跡の広場の東にあったと。したがって このところの方が杉坂峠跡入り口とした方がよいかもししれません。兵庫県側から登り路を上5分くらい上がると 関所跡と考えられたところにつきます。上り路は 径の4駆でも上がれそうですが 途中から 階段になっていて 登れません。引き返すのにUターンする場所がないので 車で上がらないように。兵庫県側には説明版があり また ここまでは道路もよいが 岡山県側に入ると 狭く通りにくいのでちぅいいを要する。ここは古代から1604年美作藩主森忠政の時播州側の西大畠と美作国側の土居を結ぶ萬のたわを通る出雲往来が開かれさらに2代森忠継か街道や土居の宿場を整備するにつれて 古代から使われていたこの峠の影が薄くなった。大正から昭和初期 天皇を中心とした歴史が主流になると後醍醐天皇が隠岐に流配になったことから 整備される機運が強まり この地方では有名なところとなった。 昭和16年には 地元田原部落の土地に英田郡教育会が植樹・戦後英田郡教員組合が下刈りなどし景観を保った。室町時代には 日本一強い荘官と言われた江見氏が 関銭を稼いだのではないかと思われる。後醍醐天皇の流配の道中は この杉坂から津山の院庄までは とこを通ったのか伝説とてしか残っていないので 最近は あちこち通ったところが出てきている。その中に 後醍醐天皇は捕らわれの身であるのに物見遊山のようなことまで書かれつつあるのは間違いであろう。前後左右本体 物見塔わせれば 500人ぐらいの体制手で護送されたと考えるとあちこちの道を油断なく 隠密に通ったと考えられるので あちことが天皇が通られたというのであろう。歴史は 後世に作られる。
【作用町指定文化財】播磨(兵庫県南西部)と美作(岡山県)を結ぶ交通の重要な場所で、鎌倉時代には関所が置かれていた峠です。隠岐に流される後醍醐天皇もこの峠を通ったとされています。
名前 |
杉坂峠関所跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.3 |
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