歴史を感じる鞆ヶ浦港。
鞆ヶ浦港の特徴
銀の積出港として歴史を感じる場所です。
小さな港で鵜島厳島神社へのアクセスも魅力的です。
カサゴ釣りのスポットとしても知られる美しい港です。
大森の町並みから北西へ約7km、日本海に面した小さな入江が「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成施設の一つ「鞆ケ浦」でした。両側を切り立った岩山に挟まれた、細長く奥深い「へ」の字型の入江になっているこの地形が日本海の荒波を遮る防波堤の役割を果たし、当時の小さな木造船(北前船など)が安全に停泊できる「天然の良港」となったそうです。16世紀前半、採掘された銀は、険しい「鞆ヶ浦道」を通ってこの港へ運ばれ、博多を経由して中国やヨーロッパなど世界中へと輸出され、 逆に、銀山で暮らす大量の人々の生活を支えるための米や塩、衣服などの物資も、この港から運び込まれたそうです。湾口に「鵜の島」がひっそりと浮かび、島の頂上には「厳島神社(鵜島厳島神社)」が鎮座し、この港の守り神として大切にされてきたそうですが、島へと架かっている橋は橋脚の老朽化・腐食が進んでいるため、「通行禁止」になっていました。
のどかな入瀬の港。
小さな漁港ですが、ここから銀が搬出されていたという歴史があるそうです。
綺麗な港です。小さい。
石見銀山から産出された銀を、鞆ヶ浦街道を経て、海の流通経路の窓口となった鞆ヶ浦港。最近、YouTubeで歴史の動画を観る事が趣味ですが、江戸時代末期までは日本は金や銀が産出されていました。江戸末期に開国されると、当時の列強国基準で、日本が銀に対して金の価値が海外に比べ割安だった事から、粗悪な海外の銀が輸入され、日本金が輸出されました。金本位制の中では、大変な損失だったと推察されます。更に粗悪な海外の銀が国内に入ってきた事から、銀山産出のコストメリット算出されず急速に衰退した事が想像されます。海外エネルギー資源を安い円で輸入して、どんどん日本が貧しくなる現代に重ねて考えさせる、静かな港でした。学生時代は、特に江戸末期から近代日本の歴史は駆け足で教えられ、全く関心は無かったけど、もっと大事な事の教育を先に教えてほしいものです。
石見銀山の銀を出してた港。
石見銀山から最短の距離にありながら、なぜもっと離れた温泉津に銀の積出港としての優位を明け渡したかを知るために訪れました。そして感じた事は、港としての容量、機能の限界値が低すぎたんだろうなと。そして石見銀山のサテライト施設として鞆館が在りますが、なかなか人が訪れる場所ではないであろうものの、館内はある程度綺麗にされており、ここを管理・メンテナンスして下さっている方には非常に頭が下がります。
トンネル手前に駐車できる鵜島へは渡れなかった。
石見銀山の銀の積出港の一つ、昔の面影が感じられます👍
| 名前 |
鞆ヶ浦港 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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駐車場らしいものはないけど車はトンネルを抜けて船が係留しているここまで入れます。