明智光秀ゆかりの上寺城。
田中城址の特徴
田中城は明智光秀ゆかりの山城で、歴史愛好者必見です。
多くの見どころがあり、土塁や堀切などが整備されています。
天守閣跡まで登る道もきちんと手入れされ、登りやすいです。
案内板多数の整備された城跡です。メリハリの効いた縄張りで、とくに切岸の高さには圧倒されます。所々藪化していますが、用意されている地図があれば迷うことはないでしょう。
ナビので教える通りに行くと山の中で駄目でした。そこから下に降りて民家の所に田中城跡ので看板がありました。駐車場は近くの個人の方が貸してくださいました。
YouTubeで検索すると動画が有ります。#田中城#高島市地元の方の有志でしょうか、道や曲輪が見やすく、案内表示通りに進めば概ね遺構を堪能する事ができます。途中、急な上り坂があり登山靴での登城をお勧めします。
多くの曲輪や、土塁、堀切など見どころも多いですね。程よく整備され登城しやすいです。
よく整備されてました。案内板も充実。素晴らしかった。欲を言えば駐車場を設置してほしい。 安曇川駅から40分歩きましたよてん😰
『米田文書』の中の『針薬方』という医学書で、史料上に初めて明智十兵衛の名前が記されています。織田信長に仕える前、朝倉義景の下で、医者等で生計を立てていた明智光秀が、永禄の政変時に、足利義昭側の足軽として「高島田中城」で籠城した際に行った対処法や、語った医学的知識等の伝聞を、纏めて編集されたものが『針薬方』なのだそうです。大河ドラマで、このエピソードが取り上げられたら、尚更良いと思いますが…。(無かったですね。)『歴史秘話ヒストリア』で、田中城のエピソードが取り上げられましたね。近年の明智光秀に対する評価が変わった今こそ、滋賀県においては、明智光秀関連の遺構を観光資源として早急に整備をし、より多くの方に見て、感じて頂くべきではないかと思います。宇佐山城・坂本城・大溝城・田中城の近江シリーズ、そして亀山城・福知山城等の丹波シリーズを巡り、光秀の足跡を辿ってみるのも良いかもしれませんね。
先月31日に。城跡の頂上まで行きましたが、帰る道順の標が色んな方向に向いていたためしばらく迷ってしまいました‼️複数で行きましょう(笑)
最寄りのバス停傍に詳しい縄張の案内板があります。城跡に向かう途中の民家軒先に地図ご自由にお取りくださいとあり、城跡も順路が整備されています。地元の方のご尽力が窺えました。東側の登り口を登ると丘城の様相で、曲輪が幾層かあります。中心は比較的広い曲輪で、土塁、虎口で仕切られています。観音堂を過ぎのぼると、西側が切り立った馬の瀬に出て主郭部に到ります。土塁、堀切など見られ、山城の様相を呈します。進むにつれて様相の変化が感じられ興味深かったです。
明智光秀ゆかりの城のひとつだったのか!知らなかった、、、。光秀が資料で最初に登場したのがここ田中城らしいです。入口には柵扉がありますが、これは動物避け。鍵も付いておらず、誰でも入ってよいのだとか。
名前 |
田中城址 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0740-33-7101 |
住所 |
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評価 |
4.4 |
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田中城は標高221mの丘の先端部に築かれた山城で麓からの比高差は60m程度なので非常に登りやすい山城です。地味な名前の城ですが、非常に整備されており案内板や順路の看板が細かく立てられており、また周遊ルートも確率されているため見学がしやすいです。マップは登山口近くの民家に置かれていました。ルートも書かれており非常に便利です。一部ロープが張られていたり傾斜が急な箇所もありますが、山城に慣れた方には問題ないレベルだと思います。田中城の縄張りは非常に複雑でマップがないと現在位置の把握が難しいです。城域もたいへん広く丘陵部分全体が山城化されています。主郭にはのろし台があり、そこには投石用でしょうかつぶて石が置かれていました。また主郭からは琵琶湖を見渡せたいへん景色が良いです。その他、堀切、土塁、竪堀、土橋、武者隠しなどの遺構が確認できます。土の城なので石垣遺構などはありません。田中城は佐々木一族の佐々木田中氏の居城と考えられていますが、築城時期は不明です。戦国期には浅井朝倉氏と争った織田信長や明智光秀が立ち寄ったことが文献に残されています。田中城は元々は浅井方の城でしたが後に信長方の城となったようです。佐々木氏なのか浅井氏なのか明智光秀なのかわかりませんが、城の規模からみてもそれなりの勢力による改修が行われたのではないかと思います。