国峰城跡で堀切探検!
国峯城跡の特徴
国峰城は小幡氏の居城で、戦国時代の歴史が色濃く残っています。
標高434メートルに広がる大城郭には絶品の堀切が数多く見受けられます。
山頂への道は細く、悪路ながらダイナミックな古城の魅力が楽しめます。
2019/2/22上杉氏、後に武田氏の家臣としてこの地域の名手となった小幡氏の居城。御殿平まで車で行け、そこから典型的な連格式の山城を味わえる。各郭を切岸と堀切で分離し、ところどころを縦掘で攻められにくくしている。尾根を彫刻刀で削ったような堀切が特徴的であり、この多くの素晴らしい堀切を見るだけでもこの城を見る価値が十分にある。規模もまずまず大きく、御殿平など多くの兵員を駐屯させることもできる実用的な城跡。
森が生い茂り竹が道をふさいでいましたが、登城の道はキレイでした。本丸からの景観もいいです。ふと、ざわざわしたので「我は長門の国萩藩士の原田の子孫にあります」と名乗ると静かな空気になり暖かく迎えてくれた気持ちになりました。
南西麓の14区住民センターというところから登りました。御殿平へと道が続いてると思ったのですが、倒竹で道が塞がっていてテキトーに登って城域西の尾根に取りつきました。西尾根に連続する堀切が最高です!
戦国時代に、現在の群馬県甘楽郡に本拠を置いた国人、小幡氏の城で標高434メートルの山頂を中心として南北2キロメートルの広範囲に築かれた大城郭です。かなり急峻な山に築いており防御力が高かったことが伺えます。近くには江戸時代に小幡藩が本拠とした小幡藩邸と武家屋敷、城下町もあり、ついでに訪れると良いでしょう。
秀逸な堀切が残る、グンマーを代表する山城です。
主郭の標高434m、御殿平は332m案内標識はいっぱいあるある林道を車で登ってくと御殿平まで行けたけど、道がよくない➰😅車が大事なら歩きが良さげ東端の物見は眺めイマイチ😂けれどここの堀切は絶品🤩竪堀まで埋まりながらもしっかり残ってるモノが多い♬西端の岩盤堀切からさらに数百mたどって行くと...戻るのタイヘン🤣段郭を歩いてると石積があった♪さらにそれぞれの尾根が堀切ダラケで全て見ようとすると 時間と体力が必要なウレシイ山城♬👍️写真も堀切いっぱいになるし♡
国峰城跡の竪堀は長く立派ですね!大きい山城としては、本郭や他の郭も小さいですがいっぱいあります。居住スペースは御殿平があり大城郭です。本郭から西側に御嶽出丸まで尾根に郭があります。国峰城は武蔵七党の児玉党からでた小幡氏の居城で築城年代は不詳ですが、現在の城跡は戦国時代のものです。主君を取り替えながら、豊臣秀吉の小田原征伐まで国峰城に居ましたが、落城し廃城になりました。小幡氏も直系は終わり、養子が旗本や他藩に登用されました。
山頂まで行くと少し危険です。
国峰城まで行くには細い道で舗装路ダ-ト悪路🚙車で行く方注意しましょう空堀もある山城跡。
| 名前 |
国峯城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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①鎌倉中期に小幡氏が築き、南北約2.5キロ、東西約2キロの規模を持つ山城で丘城と平城の要素を兼ね備えている。小幡氏は関東管領山内上杉氏の重臣だったが、上杉氏が没落すると武田信玄公に傾き、長野業政公に城を奪われ、信玄公の支援を受けて取り戻した後は、武田氏の上州侵攻の先鋒となる。武田氏滅亡後は織田氏臣下となり、さらに本能寺の変後は北条氏に従う。小田原征伐が始まると城主の小幡信定は小田原城に籠城し、子の信秀が留守を守ったが前田氏の大軍に攻められて落城し廃城となる。親子は助命され、信濃に隠棲したと言う。菊女伝説などがある。②探訪は、城山入口〜御殿平〜本丸etc。山の北側を削平した御殿平は眺望はない。大堀切を過ぎ、右側の急な山肌にあるジグザグの階段に取り付き、ひたすら上を目指していると、やがて朱塗りの鳥居が現れる。最大の目的の、本丸下から急斜面を一気に下る長く深く広い竪堀を飽かず眺めてから、直下の30段ほどを息もつかせず上り、ようやく本丸に到着。意外に狭くて、北側のスギの大木に寄り添うように木の祠が三つ祀られて、石燈籠なども置かれている。冬枯れの雑木林のはるか向こうに聳える浅間山を眺めてひと息入れてから…次に、西へ延びている尾根を歩いて、堀切を三つほど数えてUターン。更に北側の尾根に降りて堀切をふたつほど数えてUターンし、そのままピストンで下る。往復1時間半ほど、どっぷりと山城ムードを味わう。途中、車で外濠跡(ハス池)に立ち寄り、はるか南の城跡を眺め、規模の大きさを実感する。本丸の周りは、マジで急斜面で、落ち葉も深いので、登山靴が安全。🅿️あり。🚻なし。2026/3/21