伊豆石の宝篋印塔、古の重さ!
宇佐八幡社の特徴
古の重さを感じられる宝篋印塔が魅力です!
多孔性安山岩で作られた石造の美しさがあります。
この地方にはない珍しい石質が楽しめます。
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古の重さ感じれます!が…真隣で多頭飼いのワンちゃん達が…
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| 名前 |
宇佐八幡社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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この宝篋印塔は石造で、石質は伊豆石と俗称される多孔性安山岩であり、この地方には産出しない石である。総高87.9cm。基礎は底面約32cm平方、高さ約21cmで、正面と側面は各二分して格狭間形の輪郭を陽刻し、正面には花瓶、両側面には11弁の蓮華、後方には日月輪を陽刻する。その上に高さ10cm、縦横15.5cmの方柱の塔身が乗り、月輪中に金剛界四仏の種子(ウーン・タラーク・キリーク・アク)が陰刻されているが、現在は相当風化している。蓋は逓増する四段の層蓋で、四隅には馬耳形突起がある。相輪は露盤・伏鉢・受花・九輪・受花・宝珠からなり、多少の損傷はあるが当時の姿をよく残している。梵字のほかに文字はなく、紀年銘は見られない。宝篋印塔は宝篋印陀羅尼経を納める塔で、日本では平安末期からつくられ、鎌倉中期からは墓塔や追善塔に転化したとされる。大正15年8月に来村した京都大学の天沼俊一博士は、様式を室町時代初期のものと鑑定し、南朝関係の人々が宗良親王供養塔として安置したものであろうとした。これに従えば、大河原に潜居していた南朝方の人々か、信濃の南朝関係者が、親王に最も縁の深い釜沢の地に建てたものと考えられる。古伝では塔は大竜寺の付近にあったとされ、同寺は後に上蔵の宗久寺に合併されて廃寺となったが、親王の菩提所であったと伝えられている。(大鹿村誌:上巻86Pより抜粋と要約)