400年の歴史と桜が紡ぐ静寂。
長桂寺の特徴
落ち着いた佇まいと美しい桜が楽しめるお寺です。
駐車場や境内が綺麗に整備されている点が好評です。
伊那諏訪八十八霊場の5番札所としての歴史を感じられます。
創建400年以上の曹洞宗のお寺です。観光には向いていません。地元の方々のためのお寺です。
過去3度訪れました。お寺さんに保存していただいている「倉澤氏藍塔」を訪ねるためでした。本堂前の道路沿いにある案内看板にも書いてあります。本堂右側から急坂を墓地へ登りきる直前の左前方、墓地駐車場からだと降り始める直前の右下。ヤブに半ば埋もれてひっそり佇む古墓3つと比較的新しい石碑。訪れる人もこの石碑の関係者しかいないでしょう。隣接する春日公園が「春日城」だった戦国時代末期、武将倉澤義忠はこの城に(高見城、現・駒ヶ根市中澤の蔵澤寺から)武田信玄の命で移されました。のち織田へ裏切りの讒訴で主君信玄から切腹を命じられます(1556年)。子の義治は若い信長に引き取られ、信長が勝頼を滅ぼす際に敵討ちを果たし、春日城の南端・尾花ヶ崎出城に復権。3代目の義景も尾花ヶ崎に居を構え、高遠藩保科氏に仕えつつ、幕府命で初期中山道(諏訪~小野~贄川)の開拓。現辰野町小野地区の開発に私費を投じて尽力も、幕府の計画変更(塩尻経由)で頓挫。倉澤分家は高遠藩に付き従って保科正之とともに会津藩へ。4代目の倉澤景正は伊那部に残って浪人となり、私財豊かな小野へ移って帰農するにあたり、義忠・義治・義景3代の墓を長桂寺に建て(義忠の骨はない。妻が前述蔵澤寺に葬った)、100年住み慣れた伊那部を去ったとのこと(1650年頃)。この古墓群を倉澤の子孫が明治初期に境内の中で現在の位置に移設し、1971年に記念碑を建てました。本堂前で撮った写真を添付します。54年前ですので写っている人でご存命はごく一部、末端の分家である私の父方祖父(倉澤姓)も写っており、石碑の背面(墓地側)に祖父や、親から何も聞かされてなかった父、の名前が、分家名とともに刻まれています。
ライトアップされていました。枝垂れ桜と鐘 お見事です!
古くからの住宅街の中に有る、小さなお寺ですが、駐車場や境内は綺麗にされていました。山門の脇には、立派な鐘楼も見ることが出来ました。
とても静かで美しい。
近場に移住して13年になりますが、初めて立ち寄りました。地元のケーブルテレビで紹介されたので知りました。
220410散りはじめ。
枝垂れ桜で有名なお寺ですが今年、初めて行きました。ちょうど良いタイミングで見れて良かったです、
住職様も副住職様もとても感じが良く丁寧な方です。春には桜が見事です。
| 名前 |
長桂寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0265-72-4642 |
| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
|
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