諏訪の神々と出会う、丘の神社。
柏倉諏訪神社の特徴
柏倉諏訪神社は、訪れる人々を魅了する美しい境内です。
光あふれる綺麗な神社で心が洗われる体験ができます。
前橋市柏倉町の静かな環境で、心ならずも癒される場所です。
諏訪の神様と土着信仰が混ざっているらしい。歌舞伎の舞台も保存されている。野生動物の痕跡がありました。
宮城村大字柏倉村字甲諏訪鎮座 村社諏訪神社御祭神建御名方命 大己貴命 倉稲魂命 火産霊命 菅原道真公 誉田別命 大物主命 大日孁命 天児屋根命 罔象女命 大雷命 大山祇命 須佐之男命境内神社 七社八坂神社 赤城神社 水神社 埴山姫神社 地主神社 熊野神社 石神社由緒不詳、明治四十年(1907)八月十三日許可本社境内末社五社(愛宕神社・稲荷神社・大山祇神社・菅原神社・八幡神社)字近戸無格社近戸神社、同境内末社十社(愛宕神社・菅原神社・春日神社・琴平神社・神明神社・大山祇神社・八幡神社・水神社・赤城神社・火神社)同所無格社稲荷神社、同境内末社雷神社を合併せり大正五年(1916)三月十日神饌幣帛料供進指定(「宮城村誌」参照)諏訪神社由緒記柏倉諏訪神社は、群馬県勢多郡宮城村大字柏倉字甲諏訪に鎮座している柏倉地域の総鎮守です。長野県諏訪市の諏訪神社から明應二年(1493)に分祀したと伝えられています。もと本社地には諏訪神社勸請の時に地主神として祀られた社があって、そこに諏訪神社が建てられました。今でも本社境内に地主神を祀る社があり、諏訪神と関係のない鎌倉時代の御正体が秘蔵されています。永禄九年(1566)厩橋(現前橋)城主北條丹後守高廣が柏倉村内の諏訪免壱貫文の地等を三夜沢の赤城神社に寄進しています。この諏訪免の地は本社に関係あるものと見られますので、その頃には既に諏訪神社は鎮座していたことになります。中世には本地垂迹説による信仰が流行しました。平安時代の始頃(九世紀)に起り、明治元年(1868)に神佛分離の命令が出るまで続き、其間寺院が神社を支配していました。そこで神社に佛像を神体として祀るようになり、それを御正体と言いました。慶長二年(1597)七月十九日の奉納で「上野国勢多郡柏倉諏訪大明神御正躰也」と記されたものが二面現存しています。尚この御正体には「各百姓中」とあり、村人達の奉納であることが注目されます。又本社の別當寺は天台宗東昌寺でした。明治維新以後神佛分離によって神社は寺院から独立し、宗教から脱し、祭政一致という政治政策によって國家に統制されました。明治十年(1877)八月四日には柏倉村地内の二十二の社を本社境内に移転しました。明治四十年(1907)八月十三日には柏倉村近戸神社(大己貴命)を合祀しました。大正六年(1917)には村社の社格の指定を受けました。終戰後、神社は宗教であるとして國家統制からはずされました。したがって社格の制度も廃止されて現在に至ります。本社殿は寛永元年(1624)、延宝八年(1680)の再興を経て文政八年(1825)に再建されました。これに慶應元年(1865)に御饌舎、明治二年(1869)に神楽殿が加えられました。大正三年(1914)には本殿を改築、幣殿を新築し旧本殿の上屋を拜殿としました。昭和三十七年(1962)社殿改築の議が起り、終戰以來既に二十年、大正三年の修築より半世紀を經ているので、本殿に上屋をかけ拜殿及幣殿を改築することになり、昭和四十年(1965)十一月二十七日落成しました。(「境内由緒碑」参照)諏訪神社由緒記碑文は一枚の石に刻まれていて、表面が諏訪神社由緒記で、裏面は御社殿改築誌となっています。前橋市指定重要有形文化財「歌舞伎舞台」明治二年(1869)に建てられた宮城村に現存する唯一の歌舞伎舞台です。宮城村は鼻毛石・市之関・柏倉・三夜沢・苗ヶ島・馬場・大前田の七村が明治二十二年(1889)に合併して出来た村で、平成十六年(2004)に前橋市に吸収合併されて宮城村の地名は消滅、現在に至ります。宮城村の名の由来は「県社赤城神社ノ下ニ駢列スルヲ以テ宮城ト名ヅク」と言われています。
綺麗な神社です。敷地に集会所もあります。
| 名前 |
柏倉諏訪神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
027-283-8698 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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なだらかな丘の中腹に、南方面を向いて鎮座しています。関東平野がよく見渡せる。最高です。