武田軍勝利の八幡原。
青木神社(陣場河原八幡宮)跡の特徴
第4次川中島の戦いの歴史を感じられる場所です。
武田軍が攻勢に転じた激戦の地として有名です。
巨大な神社跡が静かに時を刻んでいます。
永禄4年(1561年)の第4次川中島合戦当時はこの場所に八幡宮があり、武田軍が勝利の勝鬨をあげた場所と言われています。住宅街にポツンとある広場のような感じで、当時を表すものは何もありません。戦いの前半は武田軍が劣勢でしたが別働隊が到着したことから形勢は逆転し、上杉軍は撤退することになります。犀川へ向けて退く上杉軍を武田軍が追撃し多くの上杉軍が討たれますが、「甲陽軍鑑」によると合戦全体で上杉軍の戦死者は3,117人にのぼったとのことです。当時この近くにあった河原も上杉軍の死者で埋まったそうです。戦の後に武田軍がここで勝鬨をあげたことから別名「勝鬨神社」と呼ばれるようになり、近辺の河原も武田軍が陣を張ったことから「陣場河原」と呼ばれるようになったとのことです。境内の中央にはかつて土俵があり、奉納相撲も行われていたとのことですが、本当にうっすらと土俵跡らしきものが残っていました。ただし現地の説明板では武田軍が勝鬨をあげた等の説明は記載されておらず、真偽の程は不明です。
永禄4年(1561年)9月の第4次川中島の戦い・八幡原の激戦で、前半不利 だった武田軍が後半には攻勢に転じ、上杉軍は劣勢となり犀川を渡って撤退。 戦いの終了後、武田軍は、この神社で勝鬨をあげたと伝わっています。
説明文の通りです。住宅街のど真ん中に空いた、不思議な空間でした。説明文を読んで納得しました。
| 名前 |
青木神社(陣場河原八幡宮)跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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