川中島町の四ッ屋伊勢社、神社巡りの宝!
伊勢社の特徴
長野市川中島町には4箇所の伊勢社があるので、地元の方にも親しまれています。
川中島町四ツ屋に位置する伊勢社は、歴史ある神社で参拝の名所として人気です。
2019年5月に訪れた人々が記憶に残す、心安らぐひとときを提供しています。
2019年5月に参拝しました。御神木のケヤキは幹周6.2m/樹高25m/樹齢不明の巨樹です。社殿が特徴的で、拝殿が神楽殿を兼ねているような造りです。長野市の神社巡りではいくつか見かけました。※ あれ、写真と二重投稿してしまったようです。申し訳ありません(^^;)。削除方法をご存知の方、教えていただければ幸いです。
長野市川中島町だけで4箇所ある伊勢社のうちの一つで、川中島町四ツ屋に所在する。近傍の南方富神社の宮司様が当神社の宮司を兼務されている。春祭りは4月第2日曜日。秋祭りは10月第1日曜日に開催。神社庁HPによると、元々は四ツ屋字浦河原にあったようだが、犀川が南下した事により現在の地に移された。いわゆる善光寺地震で社殿や付近多数の家屋が倒壊してしまったが、9年の歳月をかけて社殿が再建されたという。
名前 |
伊勢社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.nagano-jinjacho.jp/shibu/01hokusin/07sarashina/11083.htm |
評価 |
4.2 |
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四ッ屋伊勢社(よつやいせしゃ)現在の国道19号線北に位置するこちらの旧地籍は川中島町四ツ屋西河原一番地。江戸時代から明治の中期までは、界隈一帯は四ツ屋村といわれ、四ツ屋と中島の二組になっていた。その当時の戸数はそれぞれ50戸位だったという。〈御祭神〉天照皇大神(あまてらすおおみかみ)〈由緒〉元は古舟渡大道脇字浦川原に あったが、犀川の本瀬南下により享保10年(1725)現在地(西河原)に移された。弘化4年(1847)、日虫倉山(中条村)を震源とした大地震(善光寺地震)は、伊勢社社殿をはじめ多数の家屋が倒壊した。地震により発生した斜面崩壊により、犀川上流に巨大な堰き止め湖が形成され、やがて地震の16日後に越水し、ついに19日後に本決壊となり下流の31ヶ村に浸水被害をもたらした。決壊への警戒態勢は2カ所の監視小屋で行われ監視役から狼煙により決壊の報が小松原普請本陣に伝えられた後、陣鉦と半鐘により住民に伝達され、多くの住民は事前に避難をしていたため犠牲者は少なかったとされるが、その被害は甚大で、四ッ屋村では半潰七戸を残すのみで、すべての家屋は流失してしまい、当時、村を捨て逃散する者も少なくなかったという。しかし、残った村民の社殿 復興の願いは強く、安政3年(1856)に社殿の再建するべく全村一銭の日掛を続け、倒壊後、実に33年後に再建された。〈構造物〉拝殿・本殿、鳥居、手水舎、社務所、大ケヤキなど〈境内社〉八幡社、菅原社、秋葉社、庚申社、稲荷社、琴平社、熊野社。