後醍醐天皇が過ごした静寂。
黒木御所跡の特徴
黒木御所跡は後醍醐天皇が配流された歴史的な場所です。
資料館には後醍醐天皇の絵巻が多数展示されており興味深いです。
小高い天皇山の頂に位置し、港の東を望む素晴らしい景色があります。
島前、西之島別府港から車で5分ほどの高台に位置しています。意外と狭小な場所で過ごされていた後醍醐天皇のお心が偲ばれます。港の展望もできるようになってますが樹木が生い茂り所々から木々越しにしか見れないのがざんねんです。
後醍醐天皇が配流された場所だそうです。後鳥羽上皇の壱岐神社に比較すると少し小さいかな。
鎌倉幕府討幕に失敗して、隠岐に流された後醍醐天皇が居住した場所です。後醍醐天皇は島民の助けで島を脱出し、鳥取県名和港へ辿り着くと、名和長年を味方につけて討幕し、南朝を建てました。後醍醐天皇再起の地として、ここは縁起が良いかと思います。
やや寂れた印象ですが歴史的に価値のある場所でした。御朱印はフェリーターミナルの観光協会で受領できました。
いやあ、後醍醐天皇が流されて、この場所に住んだ後に脱出したんだと思いますとしびれます。地元の方々のサポートのおかげでしょうか。ひっそりしてますが、歴史の舞台として、訪れる価値あると思います。
黒木御所跡は港の東、別府港にのぞむ天皇山という小高い山の頂(いただき)にある。ここは、隠岐へ配流された後醍醐天皇が、脱出までの1年余りを過ごされた行在所と伝えられている。石碑の建つわずか数十坪の狭い台地は、天皇の不遇時代を偲ばせる。しかし、この伝承に反論して、明治末期ごろから学者の間で島後の国分寺を行在所とする説があらわれた。これは「増鏡(ますかがみ)」や平田市の鰐淵寺(がくえんじ)に残る僧頼源(らいげん)自筆の文書などの史料によって裏付けられるとして、国分寺が行在所遺跡の国の指定をうけた。しかし、天皇にまつわる伝承は、当地にしか残っていないことから、黒木御所跡も天皇の行在所として昭和38年(1963)8月に県の指定史跡となった。天皇山の登り口には碧風館(へきふうかん)という資料館がある。 これは昭和43年(1968)に建てられたもので、天皇に関する資料、黒木御所跡の伝承にまつわる文書、絵画などを展示している。
穏やかな場所にあります。
黒木とは、しょぼいという意味らしい。後醍醐天皇が一年ほど住んでおられた場所です。
歴史ロマンを感じます(笑)
名前 |
黒木御所跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
08514-7-8888 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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海士町へ渡る内航船出発前の朝方に訪問。資料館の館長さんの説明がありがたい。カニもフツーにいる。