飯田城跡で歴史散策。
飯田城跡の特徴
飯田市美術館を含めた一帯が、飯田城跡の縄張りとして存在しています。
本丸跡付近の長姫神社の手水は、特に訪れる価値があります。
武田氏の三河侵攻の拠点として歴史的な背景を持つ城跡です。
春に飯田線北上旅の途中、飯田で宿泊した際に、朝のジョギングで訪れました。飯田駅から緩やかな坂を下って上って約2km弱、歩く場合は時間にして30分弱です。現在は、廃城令等を経て城の建物は無くなっていますが、周辺を散策すると、地形を生かした城郭を感じることができます。周囲の川によって削られた河岸段丘の尖った先端に位置していて、断崖の際に立つと、伊那谷を遠くまで望むことができました。形態はいくつかの曲輪が連なった、いわゆる連郭式の平山城。飯田藩は小笠原家・天領・脇坂家と変遷し、堀家が幕末までの約200年間存続。堀家は、信長の寵臣で名人久太郎と呼ばれた堀秀政の系譜です。本丸跡には温泉旅館と神社(手水も温泉♨️)があり、周囲には美術館や小学校などの公共施設。飯田の中心地域の貴重な平地を、余すところなく生活に利用している感じです。建設が進むリニア新幹線が開通すると、この飯田の街にも多くの人が訪れるようになるのかもしれません。ひとときの静寂を楽しんできました。
飯田城は、かつては山伏丸、本丸、二の丸、桜の丸、出丸、三の丸がありましたが現在水の手御門の石垣と桜丸御門と井戸跡くらいしか残っていません。写真は山伏丸のホテルからの風景、本丸跡の神社、南から見た城跡。
長野県飯田市にある飯田城跡は、歴史愛好家等の人々にとって、まさに魅力的な宝庫ではないでしょうか?この城跡は、室町時代から江戸時代末期まで、伊那谷南部の重要な拠点として機能し続けた唯一の城であり、歴史的重要性は計り知れません!飯田城の起源は室町時代にさかのぼり、地元の豪族である坂西氏によって築かれたとされているそうです。武田信玄、織田信長、徳川家康といった戦国時代の名だたる武将たちが、この地を支配下に置いた重要な城です。現在、本丸跡は神社の境内となっています。飯田城跡は、歴史に思いを馳せられる特別な場所で、この幻想的な空間から、私は大きなパワーを受け取りました!ぜひ、飯田城跡を訪れ、歴史と自然が織りなす幻想的な世界を体験してみてください。この場所に訪問できたことに感謝してます。ありがとうございます!
伊那市北部からこの飯田市まで延びるいわゆる伊那谷は、木曽山脈のある中央アルプスと赤石山脈のある南アルプスに挟まれた、非常に秀美な景観の地域です。その伊那谷の南端に位置する飯田市は古くから豪族の治める地域で、この飯田城址も室町時代には整備されていたようです。現在の飯田城址は明治維新により徹底的に破壊され、城跡には到底見えない姿になっていました。ただ、飯田市街の中心にある段丘状の小さな台地上にある為、市街地の外から遠望すると見事な立地であることが解ります。その段丘の先端に本丸があり、先端のさきは崖で防御の優れた城であることがわかりました。城内には神社と宿泊施設(ホテル)、柳田國男館などが在り、その宿泊施設右脇の路地を入っていくと本丸のあった段丘先端の状態がわかります。私有地のようですので入るにはホテルの許可をとったほうが良さそうです。
この辺り一帯すべてが城跡なので、史跡が点在しています。探し歩くのも楽しいですね。
微かに残る城の痕跡を探しながら街を散策できます。
城域はほぼ市街地化されていますが城門や堀跡など遺構は断片的に残ります。解説板も充実しておりそれなりに楽しめる城です。
飯田藩の城跡で、遺構などはあまり残っていないが本丸後付近に堀親義侯の碑文がある。
遺講こそ少ないが… 本丸跡にある長姫神社の手水は最高だ。隣接する温泉旅館の温泉が引き込んであるらしく、硫黄臭のするアルカリ泉のトロトロ。神様には内緒でついつい手を入れたくなる😅
| 名前 |
飯田城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0265-22-4511 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
今は神社と温泉旅館がある。お城の周囲に築かれていた立派な石垣や、敵の侵入を防ぐために地面を深く掘った空堀と呼ばれる大きな溝や、土を高く盛り上げた土塁と呼ばれる防御のための壁の一部が現在のまちの地形の中にそのまま残されているらしい。