武田信玄公火葬の地、歴史探訪。
長岳寺の特徴
武田信玄公を火葬した歴史ある長岳寺です。
住職による丁寧な館内案内で多くを学べます。
沙羅双樹の花が美しい季節に訪れる価値ありです。
社会見学気分が味わえました。社務所で「すいません」と声掛けすれば、住職か所員さんが出迎えてくれます。御朱印を書いていただく間、拝観料200円を納めると、本堂にて歴史や御本尊の説明が受けられ、奥の宝物庫を自由に見学できます。先に、園原にある信濃比叡 廣拯院(こうじょういん)を参拝してから参ると、歴史の説明の時に、わかりみ深くなります。まわりは、ダム湖があって涼しげで駐車場も充分の広さ。ぶらり旅にはもってこいでした。
西上作戦途上で死んだ信玄公が火葬されたお寺です。住職のお話ですと、当時は巨大な寺院で、火葬したと言われる中央高速道路付近まで境内が広がっていたようですよ。
武田信玄を火葬したお寺です。小さな小さなお寺さんでしたが、信玄公の遺品や素晴らしい日本画家の襖絵があって、見どころがギュッとつまった所です。
このお寺でいただく「ミニガイド」では一切触れられてないが、このお寺は弘仁年間(810年代)に建立されてから、1772年、1971年(中央道建設のため)の二回移転している。武田信玄が亡くなった頃は「元長岳寺跡」と言われる駒場市ノ沢(市の沢、もう少し名古屋寄りの中央道の北側)にあった。また、境内のいくつかの碑も中央道の工事のため他の所から移設したものがある。この辺の事情は「駒場探訪案内(阿智村駒場区自治会発行)」というパンフレットが詳しい。なお、このお寺は「武田信玄終焉の地」という表現をしているが、阿智PAの西側の山中に「武田信玄公火葬塚」という塚がある。また、岐阜・愛知県境に近い根羽村には「信玄塚」と言われる「武田信玄が亡くなった地」というのがある。亡くなってから火葬する適当なところが見つからなかったので、阿智まで運んで、駒場の山中で荼毘に付してから、遺灰等を近くにあった長岳寺に持ち込んで供養した、くらいのストーリーなら何となく分かるが。・・・
武田信玄終焉の地は諸説あるが、長岳寺の住職によれば、信玄公は甲府の躑躅ヶ先館に戻る途中の信濃で亡くなり、侍医の御宿監物がこの地で死亡を確認しこの寺で荼毘に付したのだから、ここが終焉の地であるとの仰せ。なるほど。それより襖絵の説明に力が入ってました(笑)
信玄公を荼毘に付した場所との伝承の残る寺。関連の異物やエピソードも多く、襖絵も見事。長野には拝観料を徴収する寺は多くないが、200円と決して高いとはおもわないので、文化財や遺物の保存維持に是非十分に活かしていただきたいです。満蒙開拓団引揚記念館もこちらの前住職の事業だそうです。
武田信玄公が、荼毘に付された場所とのこと。いひんなどの展示もありますよ。御住職も、とても気さくな方でした。平家物語でお馴染みの沙羅双樹の大きな木もありました。7月頃には白い花を咲かせるのだそうです。
武田信玄公を火葬した由緒あるお寺だそうです兜の前立ちが残ってます。襖絵も見事です。
武田信玄公終焉の地。火葬した際の灰塚塔が建っています。信玄公、縁の貴重な物が展示されているとの事。お願いして、説明をして頂き、拝観する事が出来るようです。川のせせらぎが聞こえ、静かな山間にあるお寺です。目を閉じれば、かつて、哀しみに包まれ進軍した武田の騎馬隊の蹄の音、武田菱の旗が風になびく音、武者の足音が聞こえて来るようです。
名前 |
長岳寺 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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信玄公終焉の地。ここで亡くなり、武田軍は甲斐へ引き返すことになります。拝観料は200円。ご案内お願いできますかとお願いすると、堂内を案内して頂けます。長野の春夏秋冬を描いた襖絵がとても立派です。信玄公愛用の兜など武田家の遺品も数々ありますが、撮影不可です。駐車場は無料。信玄様長野侵攻に深追いしすぎました。京都へ入り、彼が天下を治めていたら。山深い長野で命つき、切ないです。