鬼切部の歴史、千年の証。
鬼切部城跡の特徴
11世紀の半ばに安倍氏が懲罰を受けた歴史的な場所です。
永承6年に戦闘が勃発した、貴重な城趾の跡が残っています。
玉造郡鬼切部での戦いを伝える、歴史的な伝承が息づく地です。
11世紀の半ば、安倍氏が朝廷への貢租を怠る状態になった為、永承6年(1051年)、陸奥守・藤原登任が数千の兵を出して安倍氏の懲罰を試み、玉造郡鬼切部(おにきりべ)で戦闘が勃発した。この鬼切部の戦いでは秋田城介の平繁成も国司軍に加勢したが、安倍氏が勝利し、敗れた登任は更迭され、河内源氏の源頼義が後任の陸奥守となった。
・全九年の役に際し、安倍軍の一基地として使われた所と伝承される。この地からは古代石器類が数多く出土している。先人が早くより住みついた場所でもあった - 仙台領内古城・館。
千年も前の史跡ですが城趾の形跡がはっきり残っていて貴重です。
鬼功部(おにこうべ:鬼首)の“功”の字の書き写しミスが原因で、鬼切部(おにきりべ)になってしまったそうな。
名前 |
鬼切部城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.thr.mlit.go.jp/naruko/office/diary/diary_54.html |
評価 |
3.4 |
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何処の事か、はっきりとわかりません。