若狭武田氏の夢、歴史を登ろう。
後瀬山城跡の特徴
国指定史跡であり、若狭武田氏の居城が残る場所です。
登山道は整備されていて、登りやすい急坂が魅力の一つです。
本丸周囲の美しい石垣と曲輪が歴史を感じさせます。
後瀬山城跡は、日本の福井県に位置する歴史的な城跡です。この城は、戦国時代に築かれた山城で、越前国の重要な拠点として機能していました。後瀬山城は、標高約200メートルの山頂に位置し、自然の地形を巧みに利用した防御力の高い構造が特徴です。城跡からは、周囲の美しい景色を一望でき、特に秋には紅葉が美しく、多くの観光客が訪れます。現在、城跡は整備されており、散策路が設けられているため、歴史を感じながら自然を楽しむことができます。後瀬山城跡は、地域の歴史を学ぶ貴重な場所であり、地元の文化や歴史に触れる絶好の機会を提供しています。
最初から階段の角度がエグいお城でした。登り口から巨大な縦堀がお迎えしてくれます。その脇を登って行くのですが 、傾斜が落ち着きを見せる。曲輪群の所まで15分〜20分。既にバテました。運動不足の軟弱な都会モンには辛い。さてその曲輪群、非常に面白かった。2〜30人ぐらい入る、大きさは然程ではない曲輪が登城道の右手に連続して並びます。無視して登るとずっと横矢がかかるので、一つ一つ攻め潰して行くしかない。エラい時間がかかる構造です。道ももちろん曲輪も狭いので一気に勝負がつかない。サイズや距離感的に鉄砲がない時代の防御思想ですね。鉄砲普及まではホント山城って落ちにくかったんだろうな。登頂を果して本郭に着くと、石垣の階段に武田菱の旗指し物がポツンと一本お迎えしてくれました。管理されている方が、一本担いで登って来てくれたんだと思うと頭が下ります。景色が良いですね。
低山の城跡ですが、けっこう登山はきつかったです。ただ、それだけ達成感もありました。
登山道入り口の愛宕神社で 参拝を済ませたら、いざ城跡へと枕木階段を登りました。長い階段と急坂で早々に息切でしたが尾根歩きがとて続く嬉しい楽しい後瀬山でした。行って良かった後瀬山でした。お手入れありがとうございます☺️
登山口のお宮さんが中々見つからず、小浜線の踏切警笛音が心を気忙しくさせる。コロコロ我が君で探しながらやっとお宮さんを発見!時は13時、これはマズイかと思いきや足が出てしまう。鳥居をくぐって急登階段。やっと慣れて来た階段ですが、苦手意識は克服されず。下ばかり見て余裕無し。砦(城)だけあって人工物の石垣の堅固さやその組方に驚かされる。毎回山城の石垣はどの様な工程で造作されたのか、小生の最も知りたいところである。登山道はとても手入れされていて感謝しかありません!迷わず進んでいけます。
35.490348, 135.742635駐車場は上記座標のあたりです。愛宕神社の鳥居をくぐり主郭までゆっくり登って25分ほどでした。登山道はきれいに整備されていました。
国の史跡に指定されています。若狭守護の若狭武田氏の居城として武田元光によって築かれました。若狭武田氏滅亡後、江戸時代初期に小浜城と入れ替わる形で廃城となりました。下の駐車場から約25分で主郭部まで行くことができますが、登り始めからかなりの急勾配です。整備はきちんとされていますが長い階段が続きます。城域に入ると尾根に沿って曲輪が並んでいます。その曲輪の横を進む形で主郭まで進んで行きます。主郭部には愛宕神社が建っています。主郭からは小浜湾を見下ろすことができますが、視界はそれほど開けてはいません。ところどころに石垣が残っています。
若狭武田氏の居城急な坂を30分以上登ると主郭に到着主郭周辺に石垣が多く残るが廃城後の神社整備に伴い築かれたものが多いとか。
🏯戦国の世:若狭国に出現した山城🏯政情の不安定だった室町時代後期、戦に備える築城はその地方を統治する者にとって必須のことだったのか。若狭国の守護であった武田氏により築城されたのが後瀬山城である。麓の愛宕神社から登り始めて凡そ20分、結構な急登の連続に閉口するが、標高168メートルの山頂に着く。そこには江戸時代初期に鎮座されたという愛宕神社の祠がある。徳川家康により天下が統一され、小浜には新たな小浜城が築かれた。泰平の世に山城の使命も終わったということなのだろうか。
| 名前 |
後瀬山城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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この山城は、例えるなら「若狭武田氏が最後に見た、美しくも儚い夢の跡」です。1. 登り始め:武田元光の「決意の勾配」標高167メートル。大永2年に武田元光が築城を開始した時のように、意気揚々と登り始めましょう。登山口から頂上までの30分は、まるで「若狭の安定を願った元光の政治」のように、程よく身が引き締まる絶妙な傾斜。市街地からすぐというアクセスの良さは、当時の守護職が持つ「領民との距離感」をメタファーしているかのようです。2. 登山道:丹羽長秀の「織田家No.2の忍耐」道中、息が切れてきたら、後にこの城に入った「米五郎左」こと丹羽長秀を思い出してください。織田信長の天下布武を支え、地味ながらも堅実に任務をこなした長秀のように、一歩一歩踏みしめるのがこの城を楽しむコツ。派手な石垣こそ少ないですが、土の温もり(土塁跡)を感じるルートは、派手さを好まなかった実力者の風格が漂います。3. 山頂(城跡):京極高次の「大逆転パノラマ」頂上に辿り着いた瞬間に広がる小浜市街と日本海の絶景。これはまさに、関ヶ原の戦いで大津城に籠城し、敗北したかに見えて結果的に若狭一国を手に入れた「蛍大名」京極高次が手にした「逆転の果実」そのもの。この景色を眺めながら飲む水は、戦国を生き抜いた男たちが味わった勝利の美酒のように喉を潤してくれるはずです。4. 廃城の余韻:小浜城への「世代交代」1601年、慶長という新しい時代。高次が「これからは山城の時代じゃない、水の都(小浜城)を作るんだ!」と山を下りていった決断に想いを馳せながら下山しましょう。あなたの足跡は、80年間にわたる「若狭の政治の中心地」という重圧から解放された、後瀬山の安堵の溜息と重なるかもしれません。「たった30分、されど80年」。標高167メートルという低山ながら、そこには守護大名の権威と、戦国を駆け抜けた武将たちの足音が詰まっています。