平安時代の蝉丸に逢う。
蝉丸神社の特徴
平安時代の歌人蝉丸を祀る神社で、芸事の神さまです。
大津市に三つある蝉丸神社の一つで、交通の要所に位置しています。
鰻のかねよさんの間にあり、東海道自然歩道へもアクセス可能です。
百人一首もそうだが坊主めくりで知った蝉丸、それで良しと思っている。平安前期の歌人、この辺りに庵を構えていたらしい。気の毒に目が悪かったらしく、でも琵琶の名人、そんなことから逢坂山の守護大神、歌舞伎の祖先、芸能の神様として崇められる様になる。この神社は創建が弘仁13年(822)と伝わり旅人の安全を守るため猿田彦命、豊玉姫命を祀っています。大谷駅から2分ほど、山に登る階段が有る。実は3つも神社が有りややこしい😢蝉丸さんは上社、下社に祀られています。因みに下社には重文の石灯籠や門前を京阪電車が走る珍しい景色が見れるので行くが良い✨東海道、中山道が一緒になる都への出入口、そりゃ多くの人が行き交ったんだろう、ここで蝉丸さんも多くの出会いや別れ、つまりは人生の縮図の様なものを感じたのかも知れない😢…だから、あんな良い歌が出来るんだ!✌️
三つある蝉丸神社の一つです。
「関蝉丸神社」の分社と聞いたが、上社、下社はまず猿田彦命と豊玉姫命を弘仁13年(822)に祀り、その後、蝉丸大神を祀っている。一方、こちらは天慶9年(946)に蝉丸を主祭神として祀ったのが創建で、現在の社殿が万治3年(1660)に建立された時に、街道の守護として猿田彦命を合祀したとあるから、こちらが分社というのはちょっと違和感が。実際、前者は県神社庁が、後者は三尾神社が管理している。まあでも神社を取り囲むように駐車場を配置している鰻屋の方が存在感あるかな(笑)
東海道を京都の三条大橋から大津まで歩きました。途中には興味深いポイントがたくさんありますが、ここ「蝉丸神社」も外せません。ただし、かなり急な石段を上らなければなりませんが。蝉丸は小倉百人一首の歌で有名です。この逢坂山の近くに住んでいたとされ、周辺には蝉丸をお祀りする神社が3社(蝉丸神社・関蝉丸神社上社・関蝉丸神社下社)あります。ここはそのうちのひとつで、逢坂の関があったといわれている場所(正確には分からないようですが)に一番近い神社です。土産物や庭園など、特に観光的要素はありません。人気(ひとけ)もありません。その分、静かでゆっくりできる神社です。
存在を知ったのが三尾神社なのだが、コインパーキング含めて駐車場が無い。あると思ったら全部鰻屋の駐車場。仕方なく浜大津駅から電車に乗って2つ先の大谷駅で下りて歩いて参拝。神社自体には大きな特徴はないが、建っているところが歌に出てくる逢坂の関かと思うと感慨深い。御朱印は先述の三尾神社で拝受できる。(鰻屋にお世話にならない行き方)1.改札を出たらすぐ右折2.神社の碑と石段が見えたら石段を登る3.登り切ったら右を見ると神楽殿。奥に本殿。
今も昔もこの辺りは、交通の要所として不特定多数の人々が往来通過してるんですね。この情景を1000年以上の昔に、盲目の琵琶の名手で歌人であった「蝉丸」が詠ったのが「これやこの行くも帰るもわかれつつ知るも知らぬも逢坂の関」今だと鉄道の駅の密度のない喧騒ですかね?この蝉丸が、946年音曲芸道の祖神として祀られ芸事の免許を与え芸能関係の人々に崇敬され、後1660年に街道の守り神猿田彦の命も合祀されのが今の蝉丸神社ですかね。それにしても此処の石段見た目以上に傾斜がキツイです途中で息が上がりました。後で気づいたのですが車石の跡辺りから荒れた緩やかな参道が……
大津駅から歩いて行きました。国道1号をてくてく20分くらい。そんなに大変な道ではありません。あーこの道をずっと行けば東京に繋がっているんだなぁと思いながら歩くと感慨深いです。大津からいきなり切り立った山の中で逢坂の関を実感できました。
これやこの行くも帰るもわかれては知るも知らぬも逢坂の関で有名な蝉丸を祀った神社。こじんまりとした境内の誂えられた素朴な神楽に存在感がある。境内の奥に音羽山への登山道のエントランスあり。
関蝉丸神社の摂社か分社らしい。御祭神は蝉丸と猿田彦命、蝉丸は琵琶や和歌の名人であり、この地に住んでいたことから芸能の神として、猿田彦命は街道の守護神として祀られておるそうです。
名前 |
蝉丸神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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百人一首に出てくる蝉丸が祀られている神社⛩️鰻のかねよさんのお店と臨時駐車場の間にあるので、臨時駐車場からお店に向かう際に寄りました。少し歩いた所には蝉丸神社の上社と下社もありますよ。