伊賀の小宮神社で機織りの女神に会いに行こう!
伊賀國二之宮 小宮神社の特徴
小宮神社は呉服比賣命を御祭神としております。
鳥居をくぐると、木々が生い茂る良い雰囲気が漂います。
お賽銭箱の左側に自分で押せる朱印の用意があります。
二ノ宮ですが、威厳はあまりないです。駐車場なし。セルフ御朱印あり。(書き置きではないので御朱印帳が必要です。)
ルートインから、田舎らしい細道を歩いて12〜13分。田んぼと住宅地の間を。木々に囲まれた力の有る⛩️神社です。前の道は車まぁまぁスピード出してるので注意。
ルートインから、田舎らしい細道を歩いて12〜13分。田んぼと住宅地の間を。木々に囲まれた力の有る⛩️神社です。前の道は車まぁまぁスピード出してるので注意。
伊賀の国の二宮、社格に対して鳥居は小さめ。
社務所は留守で賽銭箱に200円を入れて自分で御朱印は1種類だけのハンコを御朱印帳に押すだけでした❗日付は自分で書くしかないので何か物足りない感じでした💦忍者ゆかりの神社仏閣29箇所をめぐるのをやってるみたいです❗専用駐車場はないので路駐するしかありませんでした。2024.5.3(金、祝日)
2社ある伊賀國の二之宮の1つです。(もう1社の二之宮は須智荒木神社)御朱印は朱肉と印章のみ置かれていて200円を賽銭箱に入れて自分で押す方式です。駐車場が無いですが道が入り組んだ裏口から拝殿の隣に駐めようと思えば駐められます。
機織り→服の部はたおり→はっとり(はとり)なるほどつい服部さんと聞くと有名忍者のことを思い出してしまいますが、こちらは服部の名の由来となる服部祖神(呉服比賣命)がお祭りされた神社です。町名も服部町です。小宮は、一ノ宮の敢國神社に対しての小さな宮という意味だそうです。どちらも素敵な神社でした。
小宮神社(おみやじんじゃ)御祭神は呉服比賣命(くれはひめのみこと)配神に建御名方命(たけみなかたのみこと)、大山祇命(おおやまずみのみこと)「延長風土記」に服部一族が「服部里」の小宮神社と狭伯神社を祀っていた。「伊水温故」には「酒ノ君ノ靈社也、号ニノ宮服部氏ノ祖神也」という平城京出土木簡に「伊賀國阿拝郡服部郷表」とあり、本社は機織部の居住地と考えられ「おみや神社」の「おみ」は「紡績・麻績」の意との説がある。元から「おみや神社」と呼ばれていたとも考えられる。酒の神の祖も、機織の祖も渡来人系でそれが服部族でありその祖神が中之坊の小宮神社と夏ハゼの狭伯大明神であった。本社は諏訪信仰の宮として一之宮の敢國神社に対して二ノ宮と称される。「加太越奈良道分間絵図」が台上寺に西に描く天王は「伊水温故」にある「天王宮、服部村西手、狭伯大明神、服部ノ祖神也、郷人牛頭天王トイフ」のことであり、明治41年(1908)年に小宮神社に合祀された。【狭伯社】御祭神は少彦名命(狭伯社)建速須佐之男命(津島社)天兒屋根命(春日社)【蛭子社】御祭神は蛭子命伊賀國阿拝郡の小宮神社として、延喜式神名帖にも掲載されています。伊賀國二之宮で所謂ナンバー2ナンバー1は敢國神社です。ちなみにナンバー3は波多岐神社です。
御朱印は初穂料200円にて、お賽銭箱の左手側の机に、自分自身で朱印を押せるように印と朱肉が用意されています。日付なども自分自身で書き入れる式です。想像より印がきれいに押せました。
| 名前 |
伊賀國二之宮 小宮神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=2988 |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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小宮神社(おみやじんじゃ)。三重県伊賀市服部町。式内社(小)、伊賀国二宮。旧村社。主祭神:呉服比賣命(くれはひのみこと)配祀:健御名方命 大山祇命 健速須佐之男命【関係氏族】服部秦氏資料によると、『惣國風土記』によると、天武天皇三年三月の奉祭。社名、小宮は「おみや」「をみや」と読む。祭神・呉服比賣命に因んで、麻績(おみ)から来たものだとか。伊賀一宮・敢国神社の大宮に対する、伊賀二宮としての小宮であるとか。按に、式の小宮神社を以て服部氏祖神の祠なりとは伊水温故に始まり 三国地誌に至りて服部村の諏訪大明神を以て其の社に擬し 以後全く定説となれるの観あり。されど 小宮神社を以て服部氏の氏神と為せるは 小宮(オミヤ)を以て麻績(オミ)の宮と解し 服部氏に付会せるの形跡あり。しかし服部氏と麻績氏とは其の出自を異にしたれば 小宮神社を以て服部氏の祖神と為すは如何あるべき。但し後世其の職掌の類似に因りて彼比紛糾せりと解すべきか。今の府中村服部は和名抄に見えたる阿拝郡服部郷にして 早くより服部氏人の蟠衍したれば 彼の諏訪大明神祠なるものも或は此の氏人の其の祖を奉祀せる所なるべけれど 之を以て式の小宮神社と為すは猶研究の余地有るに似たり。又 秦の酒君が雄略天皇の御宇に太秦の姓を賜りたること 秦氏は元来外来の氏族にして其の出自の秦始皇なること 姓氏録の蕃別・秦氏に載せて詳なり されば服部の氏人が酒君に祈ると云ふことも聊か不条理なりと云わざるべからず。されど 服部の地早く秦族の蟠衍せるもの 終に土着して一郷を成すに至れるならん 而して 秦氏の族 社を建てて其の祖・酒君を祀れりと解すべきが如し 而も彼の諏訪祠なるもの果たして酒君の祠也や否や 容易に断定下し難し。とあります。