静寂に響く神楽の笛。
闇無濱神社(龍王宮)の特徴
蛎瀬神楽講が奉納される歴史ある神社です。
海の近くで松の並木が美しい参道が印象的です。
毎年中津祇園祭で賑わう、地域に根付いた神社です。
この神社に参拝中、嬉しい知らせが届きました。素敵な神社です。✨
闇無浜神社(豊日別国魂宮)の成立崇神天皇(贈)の時、王朝に従わない諸豪族がいた。そこで、4人の皇族(四道将軍)を北陸、東海、西海(山陽)、山陰の各地に派遣して鎮静させた。北陸 大彦命(おおびこのみこと)東海 武渟川別命(たけぬなかわわけ)西海 吉備津彦命山陰 丹波道主命(たにわみちぬし)四道将軍の他にも、大彦命の子 武淳川別命の弟の国津彦雄が東海の軍にいたが、国津彦雄の船は、途中逆風に流されて日向国に漂着した。国津彦雄は日向国から、兄の武淳川別命を追い、東海に向かって海岸伝いに、豊後の速吸の瀬戸を越えて進んだ。豊日別国魂宮は、国津彦雄(後、中津彦雄に改名。当神社重松宮司家始祖)が中津に来て鎮祭した古社である。(古は胡の置換😁)豊日別国魂神と同殿に鎮座するのが、天照太神(天照大御神)の荒魂の顕現たる瀬織津姫神(祓戸神の一神)である。神龍の形にて示現されるため太神龍とも云う。古社は現在の中津城跡に祀られていたが、建武元年(1334) 今の闇無浜に遷宮した。豊日別について、豊前志に「白日別、豊日別は神世よりの名にて、筑紫、豊の類は後世の名なり」とあり、古事記に「次に筑紫島を生む。此の島、身一つにして面四つあり。面毎に名有り。故(かれ)、筑紫の国を白日別と云い、豊の国を豊日別と云う」とある。豊日別宮伝記に言う「霊鳥石」は、神社境内地に現在も保存されている(捜しましたが分かりませんでした🥹)。✍️豊前国の初出は、日本書記 景行天皇12年秋9月だが、実際に豊国が、豊前豊後二国に分割されたのは、689年6月「飛鳥浄御原令」と思われる。✍️闇無浜は、松の名勝地として知られ、豊前名所案内記と言う古記に「昔より盛んなる祭典あり、社地を闇無浜といひ松の木多く、老松高く枝を交え、浜砂遠く連りて風光の美、眺望の佳、三保、高砂の勝地に譲らず」、祭神は豊日別国魂神とある。✍️国魂 国土の霊魂を言う。豊日別国魂神は、豊国(豊前・豊後)の国土守護の神と言う意味。✍️豊前志 中津藩の国学者渡辺重春が著した豊前国八郡の地誌闇無浜神社 豊日別伝記前書及び補遺を要約しました。
祭りの後はまるで、なにもなかったかのような落ち付く神社です!中津下祇園の時は大勢でにぎわいその後は静かに静まりどっしりした神社で何か不思議さを感じます。
2024年7月参拝前回のリベンジに来てみました❗今回は、伺う前に 連絡をしました着いてからもう一度、連絡を下さいとの事でしたが快く 直書きして 下さいました境内に、お祭りの山車の 用意をされていました✨…………2024年3月参拝。海近くの 松の木が 立ち並ぶ龍王宮さまに来て見ました❗周辺は、抜け道なんですかね?割りと車が通ります❗綺麗にされた参道と境内は、開けていて風が良く通ります❗万葉歌碑や 綺麗な水…手水舎の龍木鼻の 目の金色等…細かい所に 見所がありました御朱印を 戴きに来ました❗ちょうど、お留守にされているようでまた、いつか❗駐車場は、参道横に 止めました❗
今朝早く初詣にきました!広々とした神社です!今年は辰年です!手水舎の龍の口から神水が滝の如く落ち風情があります!素晴らしい神社です!
中津駅からは徒歩30分程かかりました。神社なのに本殿の周りにほとんど木がなくて足元が砂場状態だった。
正面入り口に闇無浜神社と書かれた石の柱があり、その右の小道を行くと専用駐車場があります。お祭りの時はもちろん人でごった返しますが、お祭りの少し前からお囃子の練習などで人が多くなりますから、じっくりお参りするなら春秋冬が良いと思います。シーズンオフはほとんど人も来ず、静かで落ち着きます。入り口から本殿にかけて立派な大きい松の木が並んでおり、子供と松ぼっくり拾いをするのが楽しいです。中津城の神社にもあるのですが、敷地のはじの方に大きな銃弾のような置物があり、由来が気になっています。
御朱印頂きました。
海の近くに鎮座し、立派な松の並木がある神社です。御祭神は豊日別国魂命で、国生みで作られた筑紫島(九州)の二つ目の顔の名前であり、豊前豊後の開拓神であり、猿田彦とも同一視される神様です。九州に密着した神様ですね。
名前 |
闇無濱神社(龍王宮) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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蛎瀬神楽講の奉納がある神社です。2024年10月12日に初めて観覧に伺いました。中津城から歩いて行ける距離でした。