歴史薫る両新田神社の魅力。
両新田神社の特徴
愛媛県松山市の両新田神社は、新田義宗公と脇屋義治公を祀っています。
松山市中心街から山道を登ると、歴史ある神社の鳥居が現れます。
南北朝時代の新田義貞の子孫を祀る、由緒ある神社です。
松山市中心街から車で15分位今治の方へ山道を登り、狭く危険なクランクが有りますが曲って登ると神社の鳥居前広場で方向転換デキます新田義宗・脇屋義治公を祀ったといわれますが特に新田義宗公は群馬県沼田市に討死の供養塔があり、更に埼玉県所沢市に隠棲碑も有り果たして群馬県から此処愛媛県に来たかどうかはですが山は険しく地形は似てなくもない?
歴史ある神社。松山市の天然記念物「お杖椿」という椿の巨木が敷地内にあります。見頃は3月末から4月にかけて。
こちら松山市の両新田神社に鎮座されておられるのは、清和天皇の子孫であり新田朝氏公の孫である源氏の新田義宗公と脇屋義治公です。鎌倉幕府が滅亡した後、後醍醐天皇に尽くし南朝方の忠臣として北朝方と各地で転戦した後、宗良親王の勧めもありこの地へ。湯山の領主である得能家から招かれ、当地で過ごされ1405年に卒去されたとあります。河野通直は二廟を建立し上新田廟と下新田廟と称えました。その後、湯ノ山日浦ノ里(現在の松山市河中町295)にて合祀し、両新田神社となっています。新田義宗公と脇屋義治公は得能家から招聘されこの地へ。そのときに義宗公が杖にしていたツバキの枝を突き立てたまま放置していたところ、根付いて花を持つようになったようです。後世「お杖椿」、「新田椿」と呼ばれるようになり、1973年8月19日に松山市指定天然記念物となり今も大切にされています。現在のツバキはひこばえが成長したもので、中心部には枯渇した親木の跡が空洞になっており、自生種はヤブツバキやヤマツバキと呼ばれています。根回りは5.1メートル、高さ10メートル、枝張り東西15メートル、南北14.5メートルもあり、ツバキのうちでは愛媛県下第一の大木となっています。狛犬の後ろにある登り口を歩いていくと脇屋義治公のお墓があり、そこからさらに登ると新田義宗公のお墓があります。神社の拝殿の屋根と奥の本殿には、新田氏の家紋である一つ引両(大中黒)が入り、拝殿には神輿が2つあり、こちらには村上水軍の守護神でもある大山積大神(大山祗神社)の神紋が入っております。両新田神社の祭礼は10月7日となっています。
南北朝時代、この地に落ち延びてきた新田義貞の3男新田義宗と、従兄弟の脇屋義治を祀った神社です。湯山の領主得能家に匿われ応永10年に共に当地で亡くなりました。その後得能通義両将の墓辺に小宮を営み、河野通直は二廟を建立し上新田廟、下新田廟と称えましたが、その後合祀し、両新田神社と改めました。神社境内下には、新田義宗ゆかりのお杖椿があります。境内から山道を行くとお塚があります。ひょっとして新田義宗の墓?と想像してしまう厳かな空気感のあるお宮でした。
名前 |
両新田神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.6 |
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両新田神社です。新田義宗さんと脇屋義助さんが祀られています。脇屋さんは今治で病没したと思っていました。