小野寺氏の墓所、静謐なる歴史。
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説明板はないが、秋田県横手市を治めていた小野寺氏の墓がある。関ヶ原の戦いで敗れ、津和野の亀井氏にお預かりになって、後に亀井氏の家臣になった。
名前 |
本性寺 |
---|---|
ジャンル |
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電話番号 |
0856-72-0481 |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
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当寺境内には、出羽国山北郡(現・秋田県内陸南部)を領有した戦国大名・小野寺遠江守義道の墓所がある事で著名。小野寺義道は、1600年(慶長五年)の関ヶ原合戦において上杉景勝に与した事で、徳川家康によって知行を召し上げられ、石見国津和野の坂崎出羽守直盛の預かりとなった。坂崎氏改易後は亀井氏預かりとなり、旧領に復帰する事なく、1645年(正保二年)に84歳で死去した。深澤多市『小野寺盛衰記』によると、義道は同年7月上旬より癰病を煩い、11月22日に津和野の仮邸において息を引き取った。この事を幕府に届け出たところ、幕府より溝口作左衛門、小幡源太郎の二名が津和野で臨検し、その後、日蓮宗本性寺に葬って一基の石碑を立てられたとある。墓碑には、「前遠州太守江山見松日遥大居士」とある。遠く秋田を離れ、故郷への帰還や大名への復帰が叶わなかった義道ではあるが、約40年に渡る津和野暮らしの中で故郷の遺臣との書状のやりとりや津和野の領主であった坂崎氏、亀井氏との逸話が残されている。