重厚感漂う国分寺薬師堂で歴史を感じる。
国分寺 薬師堂の特徴
江戸時代に建てられた重厚感ある茅葺屋根の寺院です。
旧国分寺は応永年間まで存在した歴史があります。
市原市指定文化財に指定されている貴重な文化財です。
この敷地内でもっとも重厚で圧倒される歴史的建造物。特に茅葺屋根の重圧感はものすごい。内部は覗き見ても暗すぎてわからない。お賽銭箱もない。保存状態がよいがパワースポットではない。あくまで建造物としての価値を見る場所のようだ。
江戸時代に建てられたら建物らしいです。こういう歴史的に貴重な建物はいつまでも後世に残して欲しいです。
旧国分寺は応永年間(1394年-1427年)頃までの存続は確認されています。その後は荒廃しました。元禄年間(1688年-1704年)に僧の快応によって再興され、正徳6年(1716年)に現在の薬師堂が建立されたと伝えられています。また、仁王門は江戸時代中頃に建立されました。 仁王門内の金剛力士像は、それぞれ阿形は南北朝時代、吽形は江戸時代の作です。真言宗豊山派の寺院です。山号は医王山。院号は清浄院。本尊は薬師如来です。境内には「将門塔」と称される応安5年(1372年)建立の宝篋印塔がありますが、年代的に将門とは関係がないです。
綺麗に手入れなされてますね。ここまで手入れされるのはかなり大変でしような。
令和3年7月現在、改修中。
重厚感のある、茅葺屋根です。見とれてしまいます。
【市原市指定文化財】指定名称は「国分寺薬師堂附厨子(こくぶんじ やくしどう つけたり ずし)」
| 名前 |
国分寺 薬師堂 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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国分寺薬師堂は、桁行三間・梁間三間のいわゆる三間堂といわれる形式で、正面に一間の向拝(底)が設けられています。また、周囲には、高欄を付ける切目縁がめぐります。 屋根は、茅葺の入母屋造で、建物内部には、内陣天井に植物文様の絵、外陣に竜及び飛天が描かれています。また、内陣の須弥壇に置かれた厨子は、手の込んだ唐様に作られ、 金・朱・緑の彩色が施されています。清浄院国分寺に伝わる縁起によれば、元禄年中、当地に移り住んだ僧快應が寺の荒廃を憂い、一念発起して、建立の計画を立て、浄財を募るなど、再建に向けて尽力したことが知られていましたが、 平成三年の薬師堂解体修理の際、建築部材の一部から、快應の名をしるした墨書が発見され、縁起の信憑性の高いことが、裏付けられました。 また、建築に携わった大工などの名前や出身地名などの墨書も発見され、建築は、惣社村の大工小三郎や有吉村(現千葉市)の伝三郎、五井村の半三郎など、彫刻等は、飯櫃村(現芝山町)の秋葉大治右衛門為久、牛熊村(現横芝光町)の松岡貞右衛門常久等の工匠により行なわれ、享保元年(一七一六)に完成したことが分かりました。【現地案内板より抜粋】住宅地に突如として趣ある屋根が現れます。