八上城攻めの痕跡、謎の郭跡へ。
並河城跡の特徴
並河城跡は明智光秀に従った並河氏の居城で歴史の深さを感じられる場所です。
亀岡市の発掘調査により残る井戸や虎口の痕跡が魅力的な遺構です。
周囲より高く盛り土された郭跡が独特の景観を生み出す歴史的なスポットです。
亀岡市によって発掘調査をされた並河城本丸跡です。山城(山の城)から出城(平地の城)になった初期の城とされていてとても貴重な城跡です。城に不可欠な井戸も三箇所あり、湧き水も流れています。南に犬飼川・東に水田を挟んで大井川、城郭は鍛冶屋川・願常川に守られ、北側の道は細く入り組んでいます。また、余談ですが、松平藩に仕えた鉄砲鍛冶の名工の並河源左衛門はここの出だそうです。
周囲から一段高く盛り土がされ、井戸、虎口の痕跡が残りますが、説明されなければ城があった場所には見えません。
郭跡が周囲より一段高く畑地になり残る。
土塁ぽいものが残っているものの遺構かどうか確証はない、謎である。城跡碑や説明板もない。
並河城?どこにあったのか?
名前 |
並河城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.1 |
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丹波国船井郡代で、明智光秀に従った並河氏の居城 八上城攻めにも参加したが、大山崎の合戦で敗死したと伝えられている。