500年の歴史、揖屋の大内神社。
大内神社の特徴
大内神社では、戦国大名・尼子氏の敵である大内晴持を祀っています。
一間✕一間の切妻造りの美しい社殿が特徴的です。
揖屋駅から徒歩ですぐの立地でアクセスが便利です。
JR揖屋駅から旧国道歩いて松江方面三菱農機本社過ぎ右側、先にソーラーパネル、車なら国道9号線いやタクシー有る交差点左突き当り旧国道左、地区会館横空地に一瞬停めさせて貰う今から500年前室町時代山口県守護大名最後の当主大内義隆嫡男大内晴持公慰霊、養子なるも容姿端麗教養に優れるも島根県安来市広瀬町尼子晴久討伐に失敗、退却中此処揖屋の地で溺死地元の人達は尼子の勢力下ながら追悼2006年辺りから東出雲町揖屋地区は隣接松江市と合併の話が持ち上がり徐々に整備されwikiも詳しくなり観光名所として説明板が新設されました↓日大学長林真理子女史の書込では除幕式も予定とか、既に新しい説明板出来てました20260328現在、地元の網元吉儀惣右衛門と直ぐ近く三菱農機創業者佐藤忠次郎氏記念館評価も必要。
令和7年(2025年)11月19日に訪問。新しい石碑ができるようです。除幕はまもなくなのでしょうか?公開されたら、ぜひ見に行きたいです。小さな神社ですが、大内氏の歴史に関心がある人にとっては、興味を引く神社です。山口の守護大名である大内義隆公の養嗣子 大内晴持(義房)を祀った神社です。天文12年(1543年)月山富田城の尼子氏攻めに失敗した義隆と晴持は、楫屋から船で山口へ退却しようとしました。混乱のなか義隆はどうにか退却できましたが、晴持が乗った船は楫屋灘で転覆してしまいました。一般的歴史では晴持は「楫屋灘溺死」となっていますが、楫屋では「吉儀惣右衛門という網元に救われ、あつく介護をうけたがその甲斐なく亡くなった」と信じられています。尼子氏の領地である楫屋で、敵方の養嗣子を救い介護したことを恐れ、大内晴持をひそかに葬り「御霊」を祀りました。近くに、大内晴持の墓と伝わる小祠があるようです。そちらにも行ってみます。
大内義賢の養子晴持が祀られている。
敵方のてきは 間違えてるようだ。
一間✕一間 切妻造妻入り。
揖屋(いや)駅を降りて徒歩ですぐの神社です。小さな神社でした。
地元の戦国大名(尼子氏)の敵(大内氏)の嫡男である大内晴持を祀るという意味で、珍しい神社です。
| 名前 |
大内神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0852-27-5843 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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大内神社(東出雲町揖屋)1542年、大内義隆は尼子晴久の月山富田城を攻めたが、あえなく撤退。義隆の養子・大内晴持は、混乱のなか揖屋の灘へ。しかし、船が転覆し、溺死。地元の者が、大内晴持の霊を慰めるために小さな社を建て、後に大内神社となった。敵将を供養するのは命懸けだったろう。