聖なる甕と今に息づく。
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甕(みか)森神社の由来については、古代の甕(カメ)は神霊の籠る聖なる容器とされ、大和民族による東征の最前線であった古代に於ける常陸国は「結界」のような場所でもあり、此処に甕を境界として埋めて祀ることで異民族(蝦夷)の侵入を防ぐ目的があったのではないか、と言われています。
名前 |
甕森神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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御祭神は建波槌命(日立の大甕神社の御祭神である建葉槌命の別命でしょうか?)。境内の由来書によれば、東夷征伐の砌、軍隊の露営の地として重きをなし、甕森(みかもり)の地名の由来となった・・ムム、難解ですので、茨城県神社誌を見てみましょう。創立不詳。日本武尊命東征の砌、此の地に憩い遊ばれし時に一水甕を遺留した。村はこれを奉戴し鎮斎したことがはじまり。大同元年再造営。正徳2(1712)年の棟札あり。明治14年村社列格、大正3年供進指定。アクセスは、地図のマークの北の狭い坂道途中の階段から境内脇に入りましたが、こちら正参道ではないようで、木造の両部鳥居前から車道が続いていました。社務所や広い砂利の駐車場、近年改築されたと思しき拝殿、裏側の瑞垣内には、行方市以南のこの地方独特の角頭巾型特殊覆屋(と勝手に呼ばせてもらっています)の御本殿。境内社多数と、なかなかに立派な大社であらせられます。