臨時休業でも米神様発見!
米神(温羅の首塚)の特徴
米神の周辺は細い道が多く、訪問時に注意が必要です。
倭王兼邪馬台国王の伝説が語られる歴史的な場所です。
温羅伝説に基づく興味深いストーリーが魅力的です。
米神様の案内板、ここに、在るのに知りませんでした。すいません。以後、気をつけます。かしこ。
倭王兼邪馬台国王の首塚温羅伝説は、卑弥呼亡き後の邪馬台国と狗奴国の戦争事実に基づいて書かれています。日本神話の高天原は邪馬台国(吉備+香川県北部)、天孫降臨先が狗奴国(大和)。邪馬台国に2大派閥あり、龍王系(スサノオ)、太陽系(アマテラス)。邪馬台国から天孫降臨して大和統治者になった主な人物、饒速日(太陽系)、彦火々出見(龍王系)。107年倭王兼邪馬台国王 帥升等(等は名) 楯築遺跡が墓170年頃倭国大乱期に彦火々出見が邪馬台国より東征、長髄彦に勝ち大和統治者になる。手焙り形土器が祭祀。(亡き後、太陽系の後継者たちが狗奴国を創る)248年卑弥呼亡くなる。鯉食神社が墓249年頃倭王兼邪馬台国王に男性(龍王系)が即位(温羅伝説の温羅)邪馬台国内の太陽系派閥が反発、狗奴国と裏で手を結ぶ。吉備で邪馬台国(本陣:鬼ノ城)と狗奴国(本陣:吉備中山)が全面戦争。当初は互角の戦闘で互いの矢が空中でかち合って落下(矢喰宮)。狗奴国は、一度に二本の矢を射る奇策、一本は落下したがもう一本の矢が温羅の左目に命中。⇒鬼ノ城から吉備中山を見て、左目側に展開している龍王系部隊が壊滅、右目側の太陽系部隊が龍王系を攻撃。(裏切り)⇒温羅は、逃走(血吸川)するが右目側の鯉食神社付近で太陽系兵に捕らえられる。⇒温羅の首は、首部の白山神社、胴体は艮御崎神社。その後、温羅の首が吠えること13年間、龍王系の反抗が続いた。262年頃 台与共立300年頃邪馬台国と狗奴国が和解御間城入彦(龍王系)を倭王とし、倭国首都を大和の纏向に遷都。御間城入彦は、大和の龍王山の麓に住み、自分の墓、箸墓古墳を造る。以降、主な吉備と大和の覇権争い583年児島屯倉 倭王多利思北孤(大和系)が吉備に設置645年乙巳の変 後に蚊屋皇子(吉備系)が倭王となり近江遷都672年壬申の乱 漢皇子(大和系)が倭王となり飛鳥遷都。吉備を分割686年吉備系巻き返し 王位継承破壊工作新益京の土木工事により、多利思北孤の古墳破壊(鬼の俎)、双墓を破壊し野口王墓を造る、石舞台古墳造る、丸山古墳改造、漢皇子は生前造った岩屋山古墳に埋葬されず。710年平城京遷都不比等実権(実父:蚊屋皇子、養父:鎌足 秦氏頭領)720年日本書記 記者不比等天照大御神の理念を具現化した神武天皇(太陽系が名をとり、龍王系が実をとる)旧唐書「日本國者 倭國之別種也」の日本国が狗奴国、倭国が邪馬台国(主体)となります。
名前 |
米神(温羅の首塚) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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Googleマップでは臨時休業になっていますが訪問することはできました(2023年7月21日)ただし周辺は細い道の住宅街で車を停められる場所はありませんので訪れる際はその点ご留意を。