歴史薫る鴨神社の静けさ。
鴨神社の特徴
京都の上賀茂神社から勧請された、歴史ある神社です。
加茂山中腹に存在する丹田古墳は見どころの一つです。
神社の本宮鴨の宮は、落ち着いた雰囲気を提供しています。
特に見所はない。無人の神社。
金鵄と八咫烏 事実は小説より奇なり w
京都の上賀茂神社から勧請され、御祭神を別雷神、市杵島姫命、品陀和気命、天照御神とする旧郷社の神社です。別雷神は賀茂別雷命のことで、上賀茂神社の御祭神です。市杵島姫命は日本書紀に登場する女神で、水の神様となります。品陀和気命は応神天皇のことで、八幡神として信仰され、武の神様です。天照御神は言わずと知れた、高天原を統べる女神で、皇祖神となります創建年代により、こちらを上賀茂神社の元社とする説もあるようです。鳥居は南側と北側にあり、南側からは石段の参道となり、鳥居脇には由緒記や手水舎があります。階段ダッシュ28秒😁東側の道路から山を登り、北側からの鳥居からも参拝できます。社殿は立派なものとなっており、家紋は二葉葵となり、境内の石製の桶に葵が育てられていました。拝殿の天井にも二葉葵が描かれています。境内には狛犬や燈籠、手水舎、百度石などが見られます。境内社として国瑞彦神社や天神地祇社が祀られています。国瑞彦神社には鎮守神社や幸神社、宇賀比神社など二十六社が合祀されています。天神祇社には奥成山神社や熊丸山神社、谷奥山神社など二十七社が合祀されています。雰囲気もよく、たいへん見どころの多い神社でした。
山にある神社で少し長い階段を登るとあります。
徳島県東三好町に有る鴨神社です。昔は雷避けの神社として栄えていた様です。なかなか立派な社です。
立派なつくりです。
落ち着きますね。
この神社に、さくらがあると、人出が多いのではないでしようか~ トッテモ良い神社なのに、このままでは、ちよっと、寂しいですね。
当社裏山の加茂山中腹にある「丹田(たんだ)古墳」 全長37メートル、古墳時代前期の前方後円墳が、阿遅鉏高日子根神の陵墓で、当社の本宮「鴨の宮」。山下の鴨神社は拝所で、つまり本来の御祭神は阿遅鉏高日子根神とのこと。鴨神社の神紋は二葉葵。徳川家の三葉葵の双葉葵(賀茂葵)ともいい、山林に生える多年草である。1566年、朝廷に願い出て、松平から徳川に改姓した家康は、同時に家紋も三葉葵に変えた。その後、幕府が阿波藩に徳島藩へ改名するよう命を出した。
| 名前 |
鴨神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0883-82-3212 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
鴨神社(かもじんじゃ)。徳島県三好郡東みよし町加茂。式内社(小)、旧郷社。【祭神】別雷命(配祀)市杵島姫命 品陀和気命 天照皇大神資料によると、創祀年代は不詳。社伝によれば、平安時代前期の貞観2年(860年)以前に、京都上賀茂神社から勧請され、創建された。当社より加茂谷川上流に貴船神社、加茂内に奈良神社、澤田神社、氏神社、若宮神社、新宮神社、大田神社、片岡神社が摂社として配されており、京の本社を意識したもの。『阿波志』には「鴨祠 延喜式小祀と為す加茂村に在り旧事紀に所謂、事代主の神孫鴨王是也、延喜式大和高市、鴨事代主神あり白川氏、宮川河原氏世々祝と為る」とある。ただし、これは話が逆で、当社、および吉野川下流の下加茂神社こそが本宮で、京に勧請されたのではないか、というもの。岩利大閑『道は阿波より始まる』などによるが、それによれば、当社裏山の加茂山中腹にある、全長37m、前期の前方後円墳の丹田古墳がある。その古墳が阿遅鉏高日子根神の陵墓で、当社の本宮である「鴨の宮」であり、つまり山下の当社はその拝所だったという。下加茂神社は現在、玉依姫命を御祭神としているが、本来は阿遅鉏高日子根神の母である多紀理毘売命を祀る。多紀理毘売命の妹2柱は、いずれも近隣の式内社である横田神社(市寸島比売命)と田寸神社(多岐都比売命)で祀られている、というもの。阿波では、阿遅鉏高日子根神の父にあたる大国主命は、大御和神社・勝占神社・八桙神社など多くで祀られている。阿波一国で多くが説明できている利点はある。また、土佐ではあるが、何か唐突に阿遅鉏高日子根神が祀られている土佐神社があることも関係あるか。ともかく、『百錬抄』によると、寛治4年(1090年)頃、上下の賀茂神社に対し、御供田600町あまりが寄進されたが、当地にも、その寄進された御供田があったという。その当時にはすでに、当地は福田荘となり、上賀茂神社の社領になっていたことは間違いないようだ。阿波藩主蜂須賀家による崇敬が特に厚く、天正年間(1573年-1593年)から明治初年(1868年)まで、毎年雷除け・武運長久の祈願を奉呈したという。御祭神は別雷命。雷神として崇敬されるようになり、雷除けに霊験があるとされてきたようだ。明治になり、当社境内には多くの神社が合祀された。その中には、式内社「田寸神社」の論社である山根の田寸神社、式内社「横田神社」に比定される横田神社も含まれる。これらはいずれも旧地に復し、現在は小祠が残っている。ただし他にも、拝殿の左右に、それぞれ三社の境内社がある。右の三社は、国瑞彦神社・天神地祇社・豊受大神宮社。現在までに、当社では、市杵島姫命・品陀和気命・天照皇大神も祀る。とあります。