篤姫の宿泊した豪華本陣。
旧矢掛本陣石井家住宅の特徴
旧山陽道の宿場町矢掛宿で、豪華な本陣の一つです。
江戸時代の大名が泊まった歴史的な宿で、見所は満載です。
資料館では当時の様子をユーモラスなガイドの説明で楽しめます。
ガイドのおじ様が面白可笑しく解説して下さるので、大変わかりやすかったです👍☺️勉強になりました⭐
およそ1000坪もある広大な敷地と石井家邸宅はなかなか見応えがありました。高校生以上の大人は500円です。それぞれの箇所に案内音声があり、それだけで十分理解することができました。中庭も庭師さんがきちんと手入れされていて趣を感じました。矢掛は無料駐車場が多く、立ち寄り易いです。脇本陣の高草家とセットで見るのも乙なものです。
旧山陽道(西国街道)の宿場町「矢掛宿」の本陣です。国の重要文化財に指定されています。入館料は大人500円です。石井家は江戸時代初期から矢掛に居を構え、酒造業を営んで繁栄したとのこと。今回は外観だけ見学しましたが、さすがの風格と存在感でした。訪問時期:2024年9月。
岡山県の観光スポットを全て制覇するためにやって来ました。JAF会員だと400円で入れます。係りのおじさんと綺麗なお姉さんが質問に全て答えてくれます。やはり本物は違いますね。また街並みも電線を地中化してとっても綺麗です。
ガイドさんに説明していただいたおかげで当時の様子などもよく分かり、矢掛の街並みを見る目も変わりました。(平日だったからかもしれませんが、予約なしでチケットを買った際にお願いできました)資料などもとても分かりやすかったので、ゆっくり見られることをお勧めします!
評価、迷いました施設の方、ボランティアで案内をされてる方、星4でも良い篤姫がお土産に買われたとか色々エピソードがあったり、展示品も中々良くて私は楽しめました何度も訪れたくなる事は無いかなぁと思って星3にしました今回、ずっと乗ってみたかった井原鉄道に乗車して伺いました。町並みも雰囲気がちょっとあって中々良かったです。
ボランティアガイドさんの自慢と自虐を交えたユーモアたっぷりの説明がとても分かりやすくて面白かった。またいつかゆっくり訪問したいです。
石井家は江戸時代から酒造業も営んでいたため元仕込み場のあった蔵や絞り場なども残っています。酒造りのシーンの多い朝ドラ「らんまん」を見ていたらまた行きたくなりました。平日の午前中だったのてゆっくり見て回ることができました。江戸時代に生きた方々の息遣いが聞こえてくるようです。ガイドの方のお話も興味深かったです。いい体験ができて良かったです♪
旧山陽道の本陣町として栄えた矢掛本陣町。その中心となる旧矢掛本陣石井家住宅。江戸時代そのままの佇まいで今日に伝えている。数年前、町起こしの一環として石井家を中心に家並みや道路が整備されている。近年では大河ドラマ篤姫で知られる篤姫が江戸に向かう途中本陣に宿泊。その記録が出て来たとかで一段と知名度をあげている。本陣石井家は国の重要文化財に指定されている。また、近くの脇本陣高草家も国の重要文化財。国内において本·脇ともが国の重要文化財になっているのは矢掛町だけだそうです。一度は訪れたい本陣宿場町です。
名前 |
旧矢掛本陣石井家住宅 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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旧矢掛本陣石井家住宅です。長文ですが、ご興味ありましたらお読みください。石井家には多くの近世交通関係の古文書が伝わっており、その中には、薩摩から徳川13 代将軍家定に嫁ぐための道中、天璋院篤姫が矢掛本陣に宿泊した記録も残されているそうです。9月17日に御泊になったとみられ本陣の宿泊記録である「宿方御休泊留(しゅくかたごきゅうはくどめ)」の1853(嘉永6)年9月部分に「中将様御娘也 薩州御姫君様 御登 御泊 御拝領銀三枚」と記され、女中や警護の武士ら本陣に宿泊した人数52人、食事の手配も記載されています。本陣周辺の宿の宿泊記録にも、同月の部分に「薩州御姫様御泊り」とあり、33軒に200人余りの家来が宿泊したことが記されているそうです。現在NHK-BSで篤姫が再放送されているので、タイムリーに興味津々で伺いました。というのも、ドラマでは薩摩からの道中、篤姫は瀬戸内海を船で渡っており、内陸の矢掛を通った描写はありませんでした。その件についてガイドさんに質問したところ、大河ドラマの原作となった宮尾登美子さんの小説「天璋院篤姫」では、篤姫一行は宮崎県の都井岬近くを出港し、同県細島港、山口県下関などを経て、瀬戸内海を通り大坂に到着しており、ドラマでもコースを一部変更したものの「海路説」を採用しではいますが、実際は、この時期、黒船来航などで海路は緊張が続いており、陸路を通ることが通常となっていたようです。また、NHKでも読者からの質問に対して、「実際は陸路だったようです」と回答しています。以下、HPより石井家は、江戸時代に矢掛宿の本陣職を代々務め、現在、その家屋は国の重要文化財に指定されています。本陣は参勤交代ほで江戸と国元を行き来する大名や公家、幕府役人の宿泊や休憩の場として利用されていました。時には、人間だけでなく将軍にお目見えする象も長崎から江戸への道中、立ち寄った記録が残されています。現存する石井家の建物は江戸時代中期から後期に建てられたものを中心に順次改築され今に至っています。約1,000 坪( 約3,200㎡)の屋敷地には、本陣施設として上段の間を備えた御座敷、御成門などの迎客施設を整え、さらに家人の生活の場や家業の酒造業を営むための主屋、内倉、酒倉、西倉など、合わせて十数棟が建っており、往時の姿のまま今日に至っています。