鎌倉時代の小笠原一族の城跡。
大西池田城跡の特徴
吉野川の南の台地に建つ、歴史的な城跡です。
阿波大西家が城主を務めた、由緒ある場所となっています。
坂を上がった学校通りの先に位置し、静かな雰囲気が漂います。
城跡碑のところから中へ入ったところに石垣があります。荒々しくてゴツゴツしたいい野面積みです。西以外の三方が崖という河岸段丘上に築かれた天然の要害。唯一なだらかな西側には堀と虎口を構築。北側の国道を走っていても特に思わなかったですが、南側から実際に登ってみると思った以上に急斜面というか崖ですね^^;(北側も国道ができる以前は崖だったのかも)この幼稚園から東の諏訪神社あたりまでが城域だったようです。駐車場はありませんが、城址碑向かいの神社の前に駐車できそうなスペースがあります。
阿波大西家(信濃源氏の小笠原家と近江の藤原氏である近藤家の混血)が主な城主。
大西城の石垣の上に幼稚園が建っています。
電車待ちで立ち寄りました。碑が必要?というレベルで何もないが、逆にそれが清々しい…追記:旅で様々な城を見てきましたが、標識があるだけマシということが判明致しました。欲を言えば歴史が書いていあれば良かったですが。
城跡だけに何もない。
かつて、ここに鎌倉時代から守護の小笠原一族がいました。この一族から室町時代途中まではこの城に居住していました。その後細川守護の時代に姓を三好と変え、芝生城に移り住みました。
坂を上がった学校通りのある台地にある。植え込みに石碑があった。
名前 |
大西池田城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.2 |
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吉野川の南の台地の上に建築された城。この城は,石垣の一部を残すのみで当時の面影はほとんどありません。現在は,小学校,中学校などが上にあるという状態ですが,小学校などの公共の建物を建てられるくらいの台地があり,この上に建てたので,それなりの広さの城だったと思われます。台地の東側には,諏訪神社があります。これは,信州の諏訪神社の分社と思われます。もともとこの城を治めた小笠原氏は,信州の小笠原氏の同族と言われております。大西城の特徴は北に吉野川が流れており,台地の上にある城ということで攻城側としては攻めにくい城となります。大西城の西は,大歩危峡につながっており,土佐や伊予の兵が進んできても少数であり,補給の観点から大規模な攻撃が難しい位置にあります。おそらく西側,南側が主な攻撃を想定しており,この方面に向けて櫓や土塀などを張り巡らせていたと考えるのがよいでしょう。城下町は南側にあり,大兵力の展開は難しいと思われます。総じて少数の兵で守ることのできる城であったと想定されます。遺構は少ないですが,町のつくりと台地の形状,吉野川の様子など確認しながら歩くと楽しめます。