江戸三大相撲の聖地、世田谷八幡宮。
世田谷八幡宮の特徴
世田谷八幡宮は、豪徳寺参拝後に訪れるのに最適な神社です。
江戸三大相撲の土俵がある歴史深い神社です。
東急世田谷線宮坂駅からすぐのアクセス便利な神社です。
世田谷八幡宮の創建は、今から約九百数十年前 第73代堀河天皇の寛治五年、源義家が、幾多の苦戦を重ねて清原家衡を金沢柵にて攻め平定した、歴史上後三年の役(1087〜1094)の世だそうです。とても綺麗な社殿ですが、現在の社殿は2代目で1964年に完成したものとなっています。また境内には、土俵や力石が設置されていますが、これは奉納相撲の勝敗によって来年の豊作・凶作を占なう文化や今年の豊作を感謝する文化があったことが理由だそうです。なお、今でも毎年秋の例祭(9月15日)には東京農業大学相撲部による奉納相撲が行われています。そんな相撲を象徴するように書置きで頂いた御朱印にも力士が描かれていました。そんな可愛い御朱印を貰いに伺って見てはいかがでしょうか。
八幡宮のご創建は、寛治5年(1091)源義家が奥州の地からの帰途、ここ世田谷の地にて豪雨にあい先に進めず、天気回復を待つため数十日間滞在する事となり、 日頃より崇敬する宇佐の八幡大神をお祀りし、世田谷の里人達にご祭神を郷土の守り神として厚く信仰するようにと伝えた事が始まりと云われている。また、 その時に部下たちに相撲(力比べ)を行った事が由来となり、江戸時代には「江戶三相撲」 として、また現在も秋のお祭りにて奉納相撲が行われている。その後、天文15年(1546)当時世田谷城城主であった吉良頼康により社殿を修築造営が行われ、備前雲次の太刀を一振り寄進したと云われている。江戸時代になり徳川将軍である家康より社領十一石を寄進された。現在の境内地はおよそ四千坪となる。明治時代には、一時期社名が郷社宇佐神社となるも、戦後、神社は国家管理より離れたため元来の世田谷八幡宮となった。現在の社殿は、昭和39年に改築されたもので、本殿御扉の中には、文化10年 (1813)に造られたといわれる木造の社殿(大場家文書より)が鎮まっている。現在、八幡宮は世田谷の鎮守として多くの氏子崇敬者の人達に厚く信仰されている。【現地案内板より抜粋】松陰神社、豪徳寺と近距離で史跡散策の出来るお社です。都心部にありながら境内地は広く、古き良き世田谷の静寂を体感出来ます。
東急宮の坂駅から徒歩1分ほどの神社。創建は寛治5年(1091年)、源頼家が後三年の役からの帰りにこの地で大雨に遭い、足止めを受けました。その際に自身の氏神である八幡神をこの地に祀ったとされています。江戸時代には相撲の聖地として知られ、渋谷氷川神社、大井鹿嶋神社と並び江戸郊外三大相撲のひとつに数えられました。現在も境内に土俵が残ります。境内は昔ながらの雑木林が広がっており、宅地化が進む前の東京の郊外の様です。鉄筋コンクリート造の大きな拝殿が目を引きます。穏やかな空気が流れており、静かな気持ちで参拝をすることができました。緑豊かな境内と清々しい空気がいつまでも後世に残ってほしいと感じる神社でした。
豪徳寺からの帰り道、宮の坂の近くまで来たときに神社を見つけて立ち寄ってみました。本当に驚くほど圧倒されました。まるで神秘的な森の中に入ったような気分でした。空気もとても澄んでいて、心地よかったです。今までの疲れがすっと消えて、心がとても穏やかになりました。本当に素晴らしい場所です!機会があれば、ぜひ一度行ってみてくださいね。🌿✨
江戸三相撲の名所八幡宮様です♪🤓世田谷八幡宮の御鎮座は、今から約九百数十年前、第73代堀河天皇の寛治五年(1091)、当時朝廷より陸奥(奥州)守として任ぜられた源義家が、幾多の苦戦を重ねて清原家衡を金沢柵にて攻め平定した、歴史上後三年の役(1087〜1094)の世である。義家は、戦地からの帰途、この世田谷の里にて豪雨にあい、先に進めず天気快復を待つため十数日間滞在する事となった。もとより敬神の念を厚くもつ義家は、今度の戦勝は日頃守神として信仰する八幡大神様の御加護に依るものと深く感謝し、豊前国(大分県)の※宇佐八幡宮の御分霊を、この世田谷の地にお招き申し上げ、八幡大神と称え奉り、盛大なる勧請報賽(奉祝)のお祭りを執り行い、里人に対しこの御祭神を郷土の鎮守神として厚く信仰するよう教えた、と云われている。また、そのとき士卒に奉祝相撲を取らせた事とあり、現在でも奉納相撲が神事として行われている。その後、当社旧蔵の棟札によると『当社 八幡宮建立大檀那源朝臣頼貞(頼康)。天文15年(1546)丙午8月20日建立、12月20日癸卯御遷宮』とあり、約四百数十年前の第105代後奈良天皇の御世に世田谷城主であった吉良頼康が社殿を修築造営し、正遷宮を行っている。またこの時、現在でも社宝として残っている備前雲次の太刀(二尺三寸)一振を寄進したと云われている。このように神社は吉良家の祈願所とし、神職はその当時の家臣一家老職大場家の一分家たる大場氏により祭典が執行されてきたが、天正18年(1590)豊臣秀吉の関東討伐にあたり吉良氏は小田原の北条氏と共に滅んでしまう。その翌年の大正19年(1591)に江戸城に入城した徳川家康は源氏の出身でもあり、当社の旧社領11石を朱印地とした。維新後の明治5年には郷社宇佐神社の社名となり旧世田谷村の地および羽根木を氏子区域と定めたが、終戦後、神社は国家管理を離れたので、郷社の社格も廃止され、また、社名も朱印状などの文献により元来の世田谷八幡宮と復元された。また、昭和39年5月には社殿を改築し、現在の荘厳な社殿となり世田谷の鎮守の神様として多くの人達に厚く信仰されている。
2026.01.04初詣で豪徳寺とセットでお参りしてきました。まぁまぁ並んでました。ここは相撲で有名なのでしょうか!?一風変わった感じで土俵などがありました。交通安全の御守りを購入しましたが、もぉ少しちゃんとしたよくある生地的な作りにして欲しかったです。
都会の中にありながら、静かな佇まい。穏やかな時間が過ぎる特別な場所だと感じました。歴史的にも興味深い土俵があったり、小さな池の中に多くの鯉たちが仲良く過ごしている様子がホッとさせてくれました。背が高い木々たちには、これからも元気に育ってくれるよう願っています。
豪徳寺に行ったついでにふらっと寄ったが、歴史もある神社で境内も広く、厳島神社の社周辺の水辺は雰囲気もよく、今まで寄らなかったことを後悔した。御朱印は五百円を賽銭箱に入れて自分で一枚貰っていくスタイルだった。基本無人で両替はできないとのことだったので、五百円玉または百円玉で自分でしっかり準備が必要なので、そこは気をつけなきゃならない。
豪徳寺の近く、そして城周り通りのすぐそば四つ角のところに世田谷八幡宮があります。こちら世田谷八幡宮はあまり目立たない観光スポットの1つですが、それなりに立派な建て付けです。元々源義家=八幡太郎義家が関わっております。(だから八幡宮なのですが)。神宮内の少し外れたところに、池と共に出城支社である厳島神社もあります。ぜひ豪徳寺訪問の際にはこちらも訪れてみてください。おすすめです。
| 名前 |
世田谷八幡宮 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
03-3429-1732 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 9:30~16:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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世田谷線 宮の坂駅から徒歩1分午前中で、お守りなど授受は終わっていました。御朱印は、お賽銭箱に500円納めるスタイルでした。厳島神社の立て札あったから期待したけど、御朱印は1種類でした。