松山の由緒ある阿沼美神社。
阿沼美神社の特徴
927年に完成した由緒正しい神社で、松山で一番古い。
境内は広く、見晴らしが良く、静謐な雰囲気が漂う。
新年のご祈祷を行っており、懐かしい思い出を呼び起こす場所。
子供の頃はここの境内で毎日遊んでいました。その頃はもっと木が多く大きな楠木がありました。広い境内で四角さん、八角さんのけんか神輿が朝一であったので眠たい目をこすりながら父と行きました。懐かしい思い出のある神社です。今でもあちこちの神社に懐かしさを感じるのは、子供時代にここで遊んだからかもしれません。
松山城から5分ひろめの境内でした御朱印は記帳して下さいます。
偶然通りがかった神社ですが静謐な雰囲気の素敵な場所でした。
延喜式(927年に完成)にリストアップされている(とされる)由緒正しい神社さん。
境内入って左に民家らしき建屋があるのが神聖なる雰囲気を損なっています。
氏子さんらしき人が2名、境内の草をひいていました。
昔住んでいた辺りはこの神社の氏子で、懐かしい思いに駆られました。その頃、四角八角の神輿のケンカがあって、何度も見た物です。今はないのが寂しいことです。
新年のご祈祷をしてもらってます。
大きな宣伝などしていない事などで広く認識されていませんが、松山で一番古く由緒ある神社です。
名前 |
阿沼美神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
089-921-8722 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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阿沼美神社(あぬみじんじゃ)。愛媛県松山市味酒町。式内社(名神大)論社、旧県社。主祭神:大山積命 (おおやまづみのみこと)高龗神 (たかおかみのかみ、龗は靈の巫を龍にした字)雷神 (いかずちのかみ)味耳命 (うましみみのみこと) - 高御魂命八世の裔孫だが事蹟不詳。久米氏や伊予の久味国造の遠祖。合祀神:面足神 (おもだるのかみ)惶根神 (かしこねのかみ)神八井耳尊 (かみやいみみのみこと)【関係氏族】久米氏資料によると、社伝によれば、越智守興が天智天皇3年(664年)に創建したとされる。味耳命の後裔である久米氏の氏神でもあったとされる。もとは現在松山城の建つ勝山の頂上にあり、「勝山三島大明神」とも称していた。慶長7年(1602年)加藤嘉明が松山城を築く際、味酒村に移されたことから「味酒神社」と称するようになった。明治3年(1870年)、式内社・阿沼美神社とされて近代社格制度において県社に列格し、社号を旧称の「阿沼美神社」に復した。昭和20年(1945年)7月の松山空襲で、社殿など数多くの建物が焼失し、昭和32年(1957年)8月、鉄筋コンクリートの社殿が完成した。『延喜式神名帳』に「伊予国温泉郡 阿沼美神社」として名神大社に列する神社である。現在は味酒町と平田町に論社がある。温泉郡四座の中で唯一の大社であったが、早くに衰微し、その所在はわからなくなっていた。現在は味酒町と平田町に論社があるが、いずれも確証を欠いている。阿沼美の名の由来としては①.阿沼=葦津、美=姫 →鹿葦津姫(かあしつひめ)②.天鈿女命(あまのうずめのみこと)③.勝山と江戸山の間は大沼であり、明神の神詠に『阿那美クシ沼哉』とあったため④.アジミを熱水と解釈し、道後温泉のある当地方の神などの説がある。とあります。