子宝の神、安食でご利益!
大鷲神社の特徴
日本武尊が関わった歴史ある旧跡として知られています。
天保2年(1831年)建立の珍しい造りの本殿が魅力です。
子宝を授かる神社として、多くの信者に親しまれています。
2人目不妊の際何度かお参りしてました。今回は、久しぶりにお世話になったお礼兼ねて健康面でも安心したくて、お参りして来ました✨
近くに金田屋の生カステラを買う為、立ち寄りました。メインは、子宝祈願で五穀豊穣、夫婦円満です☆12月にまた時折イベント、酉の市がある時に来ると活気が有り良いと思います😊駐車場は、裏手です🚙
春月堂に行く前に参拝させて頂きました。鷲の巣占いをしている際に宮司の方にお声掛け頂き、鷲の巣占いのエピソードを拝聴しました。また、機会があれば参拝したいと思います。
何時も交通安全祈願に自家用車、second carに2枚装着しています。お陰で事故発生は、ございません。無いと気になる品です。年末行事である、酉の市開催中につき、紅白餅をお土産に貰い、参拝をあとにしました。
房総の、それも北総地区には珍しい小山の上に建つ神社で、境内内には魂生大明神を祀っています(魂生大明神さんのクチコミは、【魂生神社】をご覧ください。)。大鷲神社なので毎年暮れになると酉の市が開かれて、境内で熊手を売り出します。主祭神は天乃日鷲命(あめのひわしのみこと)で、ほかに大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の3神を併祀していまして、後年になってからの典拠ですが、倭建命が当地で休息したと伝えられていて、祠も摂しているほか、北側裏参道を"草薙参道"と倣わしており、端から由緒が伺えます。くわえて、近世にいたり、春日局が崇敬したと伝わっています。利根川べりのこの地域は、もともと鬼怒川の中流域だったんですが、江戸時代に利根川の捌け口として連絡水路が開削連結されて、利根川流域になり、江戸城の東から運河と江戸川を遡上して銚子とを結ぶ水運交通の港町で栄えた歴史があります。こうした交通は明治時代後期まで続いていて(「川蒸気通運丸(崙書房刊)」)、幕府の役人から将軍様まで、御座舟下向する機会も多々あり、そのお殿様の川舟の舳(みよし)に魔除けとして取り付けていた金の大鷲の丸方板を奉納したところあたりに由緒を因み、それまで鷲賀岡神社と称されていたお宮が、明治に入ってから大鷲神社と定着したようです。けっこうな登り坂参道が取り巻く神社で、途中に摂社の魂生さまの中腹境内を過ぎててっぺんまで登りますと、櫓袖の軒下をくぐった右前に北を背に南向きに建てられた本殿があります。お社周りを一周できて、時計回りに御嶽神社(日本武尊も祀っているので)、石上社(魂生神以前に当地に鎮座していた柱)、いちおう、小高いお山の頂きなので「麗峰社(こちらは、当社宮司さまの名付けたところによる祠名)」と並び建っています。本殿裏手を廻って本殿前に戻ってくると、ほぼ後方に授与所があります。平時はここでお守り、お札、絵馬、破魔矢、御朱印、通年配布している熊手などいろいろ授与品を頒けており、"魂生"グッズもいろいろ並べてあります。ここの男根はサイズ的に実用を兼ねられる木彫りの丁寧なものではあるのですが、下の魂生さまに願意を添えて奉納するものなので、おうちへ持って帰って使いたい方は、2本は購入する必要があります。木製なので、使い捨てが好ましいのですが、使い終わってから奉納するか、使う前に奉納して下饌してから使うかは崇敬者しだいとゆうところです。ペロペロ飴もありまして、これがまた大きいの。全部舐め終わるまでに丸一日かかるような大きさです。ここの授与品で面白いのが"のぞき"ホルダーで、これは買って覗いてみないと映るご神体がどんなだか分からないようになっています。魂生さまの授与品は祭礼などの物日には中腹の境内の臨時授与所で扱います。駐車場は2か所あって、北の草薙参道側に、クレイのクルマ数台置き場が木陰にあるほか、西側には祭礼出店スペースも兼ねた広い舗装駐車場が備わっています。社殿境内へ上がるには、女坂と男坂があり、女坂は坂ではあるんですけど、けっきょくさいごは階段でとりつく形なので、多少楽かもしれません。男坂は一枚板階段一本が傾斜40度くらいで立ち登っています。最も近い高速出口でも成田ICなので、R408から成田安食バイパスに入り、そのまま道なりに西へ進めば栄町域に入りますので、さわやか通りの丁字路を右折、R356手前の左にあるお山一帯が境内です。列車で向かう方は、成田線安食駅南口を下車、西へ街道に沿って踏切を越えて進み、そのまま安食交差点まで行けば右手に境内が見えます。路線バスもあることはあるんですが、降りるなら安食小前のほうが正面参道には近く、さわやか通り側にはその名も「大鷲神社前」の停留所があって、こちらで降りると草薙参道から入った方が近くなります。
子宝に恵まれる神社だとは知らずに参拝に上がりましたら、翌月に妊娠が発覚!3年できなかったのに凄い!と思い時々お参りに伺いましたら2人目も授かれました✨不妊にお困りの方、信じるか信じないかでご訪問いかがでしょうか?!
2024/12/24 初訪問。いい神社でした(≧∇≦)b✨️
(備忘録)・土曜日の9時頃に参拝・急な坂を登ると落ち着いた雰囲気である拝殿が。ゆっくり参拝し、社務所にて御朱印を頂いた・丁寧な直書きで、宮司さんの対応も良かった・駐車場は5〜6台程度。
創祀の年代は不詳ですが、日本武尊が東夷征討の際、錦旗を立て仮の御野立所とし祖神を奉斉した旧跡といわれています。現存する本殿は天保2年(1831)の造営とされ、栄町の有形文化財に指定されている。江戸時代には徳川家光の乳母春日局の崇敬を受けました。家光がまだ竹千代といっていた頃、当社に竹千代の出世を祈願し、三代将軍になると報恩のため、将軍の御座船天地丸の金色の鷲をもらいうけ献納しました。祭神は日本武尊をはじめ、天乃日鷲命(あめのひわしのかみ)などです。「粟(あわ)の国の忌部の遠祖天日鷲命の作る木綿 (ゆう)を用い」とあるように、天乃日鷲命は阿波国を開拓し、穀麻を植えて紡績の業を創始した阿波の忌部氏の祖神です。この粟は『阿波』だけではなく『安房』もさしているのか、四国だけではなく、安房神社にも祀られている神様です。天照大神が天岩戸に入った時、岩戸の前で神々の踊りが始まり、天日鷲神が弦楽器を奏でると、弦の先に鷲が止まりました。多くの神々がこれは世の中を明るくする吉祥を表す鳥といって喜び、天日鷲命と名付けました。また、天日鷲神は天照大神が天岩戸に隠れた際に、穀(かじのき)・木綿等を植えて白和幣(にきて)を作ったとされ、「麻植(おえ)の神」とも呼ばれ、紡績業・製紙業の神でもあります。天日鷲神は一般にお酉様として知られ、豊漁、商工業繁栄、開運、開拓、殖産の守護神として信仰されています。春日局は安土桃山時代の天正7年(1579)に美濃国の名族斎藤氏の一族で明智光秀の重臣であった斎藤利三の娘として丹波国の黒井城下館(現・兵庫県丹波市春日町黒井の興禅寺)で生まれ、江戸城大奥の礎を築いた人物です。父は光秀に従い、本能寺の変で織田信長を討ちましたが、羽柴秀吉に山崎の戦いで敗戦して処刑され、他の兄弟は各地を流浪したといわれます。福は母方の実家に引取られ、成人するまで美濃の清水城で過ごし、母方の親戚に当たる京都の公卿三条西公国に養育されました。これによって、公家の素養である歌道・書道・香道等の教養を身につけることができました。その後、関ヶ原の戦いに徳川家康を勝利に導いた功労者、稲葉正成の後妻となりました。将軍家の乳母にあがるため、夫の正成と離縁しました。慶長9年(1604)に2代将軍・徳川秀忠の嫡子・竹千代(後の家光)の乳母に正式に任命されました。選考にあたり、家柄及び公家の教養と、正成の戦功が評価されたといわれています。息子の稲葉正勝も家光の小姓に取り立てられ、元和9年(1623)に老中に就任しています。徳川秀忠・江夫妻が竹千代の実弟・国松を溺愛している様子を憂慮し、自害しようとした家光を諌め、元和元年(1615)、駿府にいた大御所・家康に竹千代の世継を確定させるように直訴したといわれています。家光の将軍就任に伴い、「将軍様御局」として大御台所・お江与の方の下で大奥の公務を取り仕切るようになりました。寛永3年(1626)のお江与の没後から、家光の側室探しに尽力し、伊勢慶光院の院主であったお万や、お蘭(お楽の方)、お振、お夏、お玉、お里佐、おまさなどを次々と奥入りさせました。また、大奥の役職や法度などを整理・拡充するなど、大奥を構造的に整備し、将軍の権威を背景に老中をも上回る実質的な権力を握りました。寛永6年(1629)には家光の疱瘡治癒祈願のため伊勢神宮に参拝し、そのまま上洛して御所への昇殿を図りましたが一地方の武家の娘という身分では御所に昇殿するための資格を欠くため、育ての親でもある三条西公国の息子・三条西実条と猶妹の縁組をして参内する資格を得ました。後水尾天皇や中宮和子に拝謁し「春日局」の名号を賜りました。それまでは斎藤福という名でした。以後、朝廷との交渉の前面に立ち、徳川政権の安定化に寄与しました。寛永20年(1643)9月14日に死去、享年64。辞世の句は「西に入る 月を誘い 法をへて 今日ぞ火宅を逃れけるかな」。
| 名前 |
大鷲神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0476-95-1760 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 9:00~16:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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JR成田線 安食駅から徒歩15分ほどで着きました。神社までの道はあまり歩いている人はなく車が行き交う道をひたすら歩きました。歩道が無い場所や狭い所もあり気をつけながら歩きます。高い場所にある静かな神社です。帰りには少し先にある金田屋に寄り生カステラを...また手前にある倉右衛門商店でくず餅を買い駅に向かいました。※安食駅は時間帯によりホームが違うんですね!