広島城址に佇む、願いを祈る神社。
広島護国神社の特徴
美しい境内は広島城の敷地内にあり、静かに参拝できる神社です。
鯉が有名で、御朱印帳は可愛らしい鯉の模様入りです。
年末や平日に訪れると、参拝客で賑わい、特別な雰囲気が楽しめます。
御朱印帳を頂きました。栞とクリアファイルを添えて下さり、感激しました。ここの神社は原爆で被災された方々が祀られています。日本だけでなく、世界の平和と繁栄・安寧のために尊い命を捧げられた英雄達です。参拝できた事、嬉しく思います。
広島護国神社は、広島駅の北西1.4kmほどの広島市中区基町に鎮座している神社です。旧社格は村社で、現在は別表神社です。明治元年(1868年)安芸広島藩11代藩主の浅野長訓の命により、戊辰戦争で命を落とした高間省三ら78柱の英霊を祀るため、広島大須賀二葉の里に「水草霊社」が建立されたのが神社の起源です。明治8年(1875年)官祭招魂社となりました。明治34年(1901年)「官祭広島招魂社」と改称されました。昭和9年(1934年)社殿の老朽化に伴い、広島西練兵場の西端(旧広島市民球場付近)へ遷座しました。昭和16年(1941年)「広島護国神社」へと改称されました。昭和20年(1945年)8月6日、原子爆弾が至近距離の上空で炸裂し、爆心地からわずか数百mの距離にあった御社殿は全て灰燼に帰してしまいました。この際、多くの動員学徒や女子挺身隊などの尊い命も失われ、彼らも後に英霊として合祀されています。戦後は占領軍の政策によって一時的に「広島神社」と改称されましたが、独立後に現在の名称を復しました。復興が進む中、多くの県民の熱い願いと浄財によって、昭和31年(1956年)に広島城跡の現在地へ荘厳な社殿が再建されました。現在では、明治維新以降の国事殉難者や原爆犠牲者など約9万2千柱の御霊を祀る、広島県西部における慰霊と平和の祈りの中心地となっています。さらに、昭和46年(1971年)の昭和天皇・香淳皇后の御親拝をはじめ、地元広島のみならず多くの人々に「開運」「家内安全」の神社としても広く崇敬されています。神社のある「広島(ひろしま」の歴史は、天正17年(1589年)安芸国を治めていた戦国大名の毛利輝元が、太田川の三角洲に広島城の築城を開始したことに始まります。当時「五ヶ村」と呼ばれていたこの地を輝元が「広島」と命名し、城下町としての基礎を築きました。その後、福島正則の統治を経て、江戸時代には浅野長晟が藩主として入封します。浅野家は明治維新まで約250年にわたり広島藩を統治し、瀬戸内海の海上交通や西国街道を活かして、塩や木綿、畳表などの流通拠点として商業を大きく発展させました。明治時代を迎えると、広島は急速に近代都市への道を歩みます。明治22年(1889年)の市制施行と前後して、宇品港(現 広島港)の築港や山陽鉄道の開通が進められました。特に明治27年(1894年)の日清戦争勃発時には、大本営(最高統帥機関)が広島城内に移され、臨時帝国議会も広島で開催されるなど、一時的に日本の首都機能を担いました。これを契機に、陸軍の拠点や軍需産業が集積する「軍都」として急速に発展していくことになります。軍都市としての歩みは、大東亜戦争末期に悲劇的な結末を迎えます。昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、米軍により世界で初めての原子爆弾が広島市中心部に投下されました。一瞬にして街は壊滅し、その年だけで約14万人もの尊い命が奪われました。「草木も75年間は生えない」と言われた絶望的な状況でしたが、市民の強い意志と国内外からの支援により、広島は驚異的なスピードで復興へと立ち上がります。現在の広島は、自動車産業や製造業が盛んな中国・四国地方最大の政令指定都市として繁栄しています。悲劇の歴史を乗り越え、国際平和文化都市として世界中の人々を迎え入れる広島は、過去の記憶を未来へ繋ぐ重要な役割を果たし続けています。
2026.4.28 【広島蝋燭薪能】の鑑賞のため訪問しました。境内に能舞台が設置され、ろうそくと薪の灯りの灯る中、能と狂言を鑑賞しました。護国神社は明治元年12月から歴史が始まり、当時は【水草神社】の名称で、今の場所ではありませんでした。昭和9年に老朽化のため、移転.同14年に【護国神社】と改名したが、20年8月6日に原爆投下の影響で焼失したそうです。昭和31年.広島の復興と共に移転し、現在の広島城跡に造営されました。戦争の犠牲者を祀られています。今回は、神社での能の鑑賞でしたが、前回、訪れた時も感じたのは・市内にありながら、静寂で神聖な場所です。・大きな鳥居が圧巻です。・社務所を訪れた時は、巫女姿の神職の人が、とても丁寧な対応をして頂きました。・今回のイベントに於いても、席の案内までされて、とても気持ちの良い、居心地の良い対応でした。
初詣では多くの方が訪れ、地元では非常に人気のある神社であります。毎年広島東洋カープが必勝祈願に訪れる事でも有名です。広島城のすぐ側にあり、立地も非常に良いと思います。広島城は閉城になってしまいますが、それでも周辺にはサンフレッチェのホームグラウンドであるエディオンスタジアムや中央公園、デパートや原爆ドームや平和記念公園等多くの方が訪れる施設が周辺にあるので、これからも非常に賑わい豊かな場所であり続けると思います。
広島城址公園内にある、明治元年(1868年)創建の神社。毎年三が日には約60万人が初詣に訪れる、中国地方屈指の参拝者数を誇る神社です。広島市中心部にありながら、境内は落ち着いた雰囲気で、厳かな空気が漂います。また、広島東洋カープが必勝祈願に訪れる神社としても有名。地元に深く根付いた存在であり、観光とあわせて立ち寄りたいスポットです。
安全祈願に訪れました。土曜日の朝10時頃着きましたが既に駐車場は満車状態でしたが、近くの市営駐車場や民間駐車場にとめる事が出来ますのでお車での参拝も安心ですね。広島護国神社は中国地方でも有数の神社と言われてますので参拝者も観光客も多く、市民ボランティアの案内の方も忙しそうでした。広島城も徒歩3分なので是非!!
広島城とつながっているのでセットで行ける。というか広島城エリアに東側から入ろうとすると入り口にこれの大鳥居がある。いわゆる護国神社としての細かいところはよく知らないが、お参りに行く場所としては各種施設がシステマティックに配置されていて良いなと思った。大鳥居から入って広島城(2026年4月以降入れなくなるけど)〜広島護国神社〜二の丸跡と巡って南側から出ると少し歩けば広島バスセンターとかがある市の中心部である。
元旦に初詣で参拝しました。広島城のすぐそばという立地もあり、正月三が日はかなりの参拝客で活気があります。石の大鳥居をくぐった瞬間から「新年が始まった」という空気感が一気に高まります。参道は人が多いものの、誘導がしっかりしていて流れはスムーズ。小さなお子さん連れや年配の方も多く、地元に根付いた神社だと実感しました。境内は整備が行き届いており、屋台や授与所も充実。お守り・お札・御朱印まで一通り揃っていて、初詣としての満足度はかなり高いです。歴史ある神社ですが堅苦しさはなく、家族・カップル・友人同士、誰でも参拝しやすい雰囲気。広島市中心部で初詣をするなら、間違いなく定番かつ安心の一社だと思います。※元旦は特に冷えるので、防寒対策は必須です。並び時間も含めて“心と体の準備”が大切です。
護国神社は広島城の近くにある神社です。砂利道を歩いて鳥居をくぐると、参拝ができる場所に辿り着けます。双鯉の像と昇鯉の像があり、手で触れられるようになっています。ちなみにこの鯉おベースにした、おみくじも売っています!数年前の7日に訪れた時は、七草がゆをいただきました。金額は決まってないですが、箱に気持として小銭を入れるようになっていました。近くにベンチがあるので、座っておかゆをいただきました(笑)神社は不思議と、活力がもらえる場所ですね。
| 名前 |
広島護国神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
082-221-5590 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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1551.2023.09.15広島アストラムラインの県庁前駅から徒歩8分という広島市の中心部に聳え立つ広島城のある広島城公園内に鎮座であります。初詣期間には 厳島神社さん よりも多い50万人もの参拝者が訪れるそうであります 。観光地の広島城公園の賑わいとは違って都市中心部にありながらも厳かな雰囲気です 。御朱印を頂くことができました 。オリジナルの御朱印帳もございました 。1868年 (明治元年) 明治維新の戊辰の役にて陣没された78柱を奉祀するため、二葉の里に水草神社 として建立がなされている 。1876年 (明治8) 官祭招魂社となる 。1901年(明治34) 官祭広島招魂社 と改称する 。1934年(昭和9) 社殿の老朽化に伴いまして現、広島市民球場付近の西端に移転をしている 。1941年(昭和16) 広島護国神社 と改称している。1945年 (昭和20) 原爆により大鳥居以外は全て焼失し、御霊代を 厳島神社 に奉還する 。同地には小祠を設けて祭祀を続けていた 。1947年 (昭和22) 護国神社 の名称のままではGHQ から軍国主義施設として指摘され、廃社の可能性があるとの事で 廣島神社 へと改称する 。1947年 (昭和22) 旧社地に仮社殿を建造して御霊代の奉還がなされている 。1956年 (昭和31) 広島城跡に再移転をして新社殿を造営し、復興を遂げている 。1960年 (昭和35) 廣島護國神社 に複称している 。1993年 (平成5) 明仁親王殿下御大典記念事業として現在の社殿などが建立されている 。2009年 (平成21) 創建130年記念事業として悠久殿を新築し、儀式殿・神楽殿・社務所参集殿の建替えなどが竣功している 。第二次世界大戦までの広島県西部 (安芸国) 出身の戦死者や原子爆弾投下によって犠牲になった勤労奉仕中の動員学徒および女子挺身隊などの御英霊92000余柱の神霊が祀られております。