国指定重要文化財、染羽天石勝神社で静かな祈りを。
染羽天石勝神社(瀧蔵山熊野権現)の特徴
古くからの歴史を持ち、国指定重要文化財の本殿がどっしりとそびえています。
益田東高校のすぐ隣に位置し、静かで落ち着いた参道を歩むことができます。
桃山時代の本殿と舞殿が隣り合わせており、歴史的魅力が凝縮された空間です。
御朱印が500円で入手出来ます。基本無人の様なのですが、別の建物内でお金を置いて購入する事が出来ました。手入れもされており、地元の方に大切にされてるのが分かります。
兄弟でお正月に行きお札や破魔矢におみくじお守り買って今年の安全お祈りしました。駐車場も近くて買いやすかったです。
萬福寺から歩いて10分ほど。拝殿から先の石段上にある本殿が玉垣で囲まれ、紅色の色彩が厳かさ?を醸し出している。お参り後、書置きの御朱印を拝受し、大きなイチョウやカエデの木々が秋色に染まり、何とはなしに、見上げるのでありました~
もと国宝だったそうですが、なぜ、どこが評価されたのか興味がありますね。 それにしても「そめばあめのいわかつ」という名前はなかなか読めないし、読めても覚えにくいです。
かつて勝達寺という寺がありましたが、神仏分離令(神社と寺院とを区別させること)が明治初期にあり同寺が廃絶しました。寺に安置されており平安時代に作られた木造不動明王坐像は現在は鎌倉市にある極楽寺に移されています。
重要文化財の本殿は見応えあります。
本殿は国指定文化財。しかし、それよりも舞殿が益田氏の七尾城に建てられていた城の威光を感じる重要文化財的な建造物だと思う。舞殿は、内部を結婚式などで使用するために手を加えられているため、かつて文化財指定をつけられなかった。15年前くらいには、溜池に水が張っていて、ザリガニが住んでいた。滝も流れていた。神社の近くに、室町時代には勝達寺という寺があったが、廃仏毀釈により廃寺となった。勝達寺の本尊は、現在鎌倉の極楽寺にある。
益田東高校の横を抜けて参道に入ると左手側に駐車場があります。染羽天石勝神社は、古来より境内の弁天池の背後にある注連岩(しめいわ)を石神とした磐座信仰の形式で祀られており、奈良前期(725年)に天石勝命を祭神として創建されたと云われています。なお、上古に大和より当地に移住してきた春日族がその祖神を祀ったものであるという伝承もあるようです。平安期には『延喜式』の美濃郡五座に記される式内社となり、後に滝蔵権現と称して別当寺の勝達寺(しょうたつじ)を建立し、中世には益田氏の庇護を受けて発展。その後、明治期の廃仏毀釈の影響で勝達寺は廃寺となり、瀧蔵権現は社名を染羽天石勝神社と改め、現在に至るとされています。
本殿は国指定文化財ですが、それよりも舞殿が益田氏の七尾城に建てられていた城の威光を感じる重要文化財的な建造物だと思う。舞殿は、内部を結婚式などで使用するために手を加えているため、文化財指定をつけられなかった。
名前 |
染羽天石勝神社(瀧蔵山熊野権現) |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0856-22-3619 |
住所 |
|
HP | |
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ

🏣島根県益田市染羽町🅿️🚗…有りました🚌...堀川橋下車※染羽天石勝神社御本殿国指定重要文化財指定されている。※主祭神天石勝命※本殿は朱塗り、安土桃山時代の建築物。境内には年代は分かりませんが、立派な神楽殿が有りました。725年当時は社殿ではなく、自然崇拝ではなかったのでは…と言われているそうです⁉又境内には弁天池が有り、祠が有りました。※益田氏の庇護を受け繁栄した神社752年瀧蔵権現と称し創建された。瀧蔵権現はその後染羽天石勝神社と改められる。棟札によると、1581年本殿が焼失、益田元祥が大壇那、父藤兼が後見人と成り再建されたそうです。※一見見落としそうな場所に有る神社でしたが、境内にはいると立派な神楽殿、朱塗りの本殿にも驚かされました、長い歴史の有る神社の風格でした。