八坂甚八碑、鉄道のまちの誇り。
八坂甚八碑の特徴
鳥栖駅東側のサンメッセ鳥栖都市広場に位置しています。
鉄道のまちを築いた八坂甚八氏の碑が設置されています。
鳥栖の鉄道事業に尽力した実業家の功績を感じられます。
公園にひっそりとしていた。
八坂甚八碑は、鳥栖駅の東側にあるサンメッセ鳥栖都市広場の一角にあります。八坂甚八氏は、嘉永6年(1853年)生まれで、明治~大正期活躍した大地主で実業家で、九州鉄道(現在のJR)博多~久留米間が開通する際、当初の計画では長崎街道の田代宿がある「田代ヨリ分岐」となっていましたが、それを鳥栖へ誘致し、「鉄道の町・鳥栖」の礎を築いた人物です。また、九州運輸業界の雄とも呼ばれ、農業振興にも尽力しました。佐賀県議、鳥栖町議等を歴任した後、明治30年から37年まで貴院議員として在任し、明治45年、衆院議員に佐賀郡部より当選しました。昭和4年3月29日に亡くなりました。
鳥栖の鉄道事業に尽力した実業家です。
名前 |
八坂甚八碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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八坂甚八氏は「鉄道のまち」鳥栖をを築いた人と言われています。明治中期に、九州鉄道の開通にあたり、鹿児島本線と長崎本線の分岐駅の誘致に貢献して、鳥栖駅が完成したそうです。