松山道南の歴史探訪。
渋柿城跡の特徴
松山道の高架下を抜けた先に位置する史跡です。
薦田一族や新宮家にまつわる歴史が魅力です。
戦国時代にゆかりのある特異な家系の地です。
薦田(こもだ)一族が城主愛媛県新宮家が城主として移住して来た源頼朝や源九郎義経の叔父新宮十郎行家の側室の一族が薦田家や新宮家源行家の名でも知られる無類の女好きで多く子を残したが合戦は、苦手であった。
戦国時代。天正十三年城主薦田義清は、金子城主と伴に、小早川軍に高尾城に立てこもり、また渋柿城も攻められ落城したという。ところが、あとの話がまたあります。✋
名前 |
渋柿城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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松山道の高架下を南に抜けた先の墓地の駐車場を利用させて頂きました。墓地の隣の沢を少し登り、東側に沢を渡ると登城路が有ります。目印は特に見つけられませんでした。南北に細長い城跡で、空堀竪堀がまず有ります。さらに登ると平坦部の123曲輪となります。3曲輪の北側に土塁、竪堀が見られます。各曲輪が切り立っていて、2曲輪の側面に石積みが明確に見られます。1曲輪は最も広く削平されていて南側に土塁が有ります。南側に進むと浅い堀切が有り、馬の瀬となり岩肌の露出した箇所が有ります。青味がかっていて三波石のようでした。中央構造線が徳島からこの付近を通っていると言われていることを思い出し、地形の険しさとなっていると思われました。