厳島の戦いの舞台、宮尾城。
宮尾城跡の特徴
小さなながらも歴史的意義のある宮尾城跡です。
厳島の戦いが繰り広げられた貴重な城の跡です。
安芸国佐西郡厳島に位置する歴史深い場所です。
宮尾城(みやおじょう)は、広島県廿日市市宮島町(かつての安芸国佐西郡厳島)にあった日本の城。別名宮ノ尾城(みやのおじょう)とも呼ばれる。城を含む島全体が、国の特別史跡及び特別名勝に指定され、瀬戸内海国立公園の一部でもある。毛利元就が厳島の戦いに先だって築城したとされる。1554年(天文23年)5月、防芸引分により厳島を占領した毛利元就はこの城に番兵を置き、補修に着手。6月に陶晴賢軍が海から襲来したが、上陸を阻んだ。1555年(天文24年)9月21日、厳島の戦いが起こり、毛利側が勝利。厳島北西にある要害山と呼ばれる標高30メートルの丘を中心に築かれた連郭式平山城である。現在と違い、当時は城北部の山麓まで海が迫っており、三方が海に面し、水軍の運用も可能な城であった。そのため、援軍として熊谷信直を送り込むことができた。城自体は決戦を前に急造された陣城のような城とされるが、脆く崩れやすい地盤を固めるために石垣も使用されている。また、築城にも人夫1000人を使って、1か月程度はかかっており、戦時急造の雑な城ではなかったと推測される。
厳島の戦いで有名。
撒き餌とされながらも奮闘‥‥‥寂しいこの現状は余りに寂しい。
厳島の戦いの舞台となったお城となります。遺構としては曲輪跡のみとなります。
かつてこの場所には、宮尾城と言う城があったという。しかし、現在は影も形も無く城の名残は一切残っていない。史跡も無く、あまり観光客もいないので、宮尾城は完全に忘れ去られた。
名前 |
宮尾城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0829-30-9205 |
住所 |
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評価 |
3.5 |
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小さな城だが歴史的には大きな城。堀切が在るけど今は小路になっているのか?