紅葉と共に臨聖太子の像。
臨済宗南禅寺派 乗福寺の特徴
大内家の菩提寺として歴史を感じられる場所です。
周防で最初の禅寺として1312年に建立されました。
臨聖太子の像や大内氏の供養塔が境内にあります。
乗福寺は別名「楓寺」と呼ばれたほどの楓の名所であったようです。大内氏22代当主、大内重弘が建立したものと言われています。重弘は大内氏中興の祖と言われる第24代当主、大内弘世の祖父に当たります。弘世はこの重弘の弟で周防守護となった大内長弘(鷲頭長弘とも呼ばれるが、生前はそのように呼ばれたことはない)の子供、弘直を倒して周防国を統一します。かつては大内氏の惣領家が重弘で、長弘・弘直親子は庶流(分家)と言われていましたが、最近はむしろ長弘たちのほうが惣領家なのではないか、とも言われています。大内氏の系図はその後の教弘や政弘の時代に作られたものなので、大内氏の正当性を示すためにこの寺が利用されたのかもしれません。しかしその後、周防国は毛利氏に侵略され大内氏は滅亡しました。当然ながら大内氏から保護を受けていた寺の多くは毛利氏に鞍替えをするか、もしくは没落してしまいました。幸い乗福寺は残りましたが、七堂伽藍など重要な建物は解体・移転されてしまいました。敷地も縮小し、今は住宅街の中にポツリとたたずむ小さなお寺ですが、楓の葉は美しいですし、ボロボロの壁には大内氏から毛利氏へと主役が交代した時代の侘しさを感じさせてくれます。なお、境内の人が住んでいる場所には犬がいてよく吠えます。お寺を見学する際は、居住域には近づかないようにしましょう。
大内家の菩提寺で、臨聖太子の像があります。納骨堂に永代供養もできます。
正和元年(1312年)大内重弘公が建立したとされる周防で最初の禅寺です。重弘公の菩提寺で、また塔頭の正寿院は弘世公の菩提寺でもあります。幕末の慶応元年(1865年)この寺で、坂本龍馬が長州藩士と薩長同盟について話し合いを行なったといわれています。また本堂の裏に、上田鳳陽のお墓があります。上田鳳陽は山口に学館がないことや書籍が少ないことを憂い、資金を集め文化12年(1815年)中河原(一の坂川交通交流広場付近)に山口講堂を創設しました。
南無釈迦牟尼仏 南無阿弥陀仏。
境内に大内氏22代当主の大内重弘公、24代当主の弘世公の墓、大内氏の祖・琳聖太子の供養塔があります。
| 名前 |
臨済宗南禅寺派 乗福寺 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
083-924-2590 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
〒753-0214 山口県山口市大内御堀4丁目6−33 乗福寺 |
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楓寺の名前の通り、紅葉が素敵な場所です😊