続100名城 大内氏館の歴史散策。
大内氏遺跡 館跡の特徴
続100名城の一つ、歴史的な大内氏館跡が楽しめます。
小さな庭園や復元土塁を見学しながら散策できます。
室町時代の雰囲気を感じる静かな場所で心安らぐ時間を過ごせます。
大内氏を偲びながら色々と散策しました。あまり観光客もおらずゆっくり見れます。文化財なのですがガラス戸が…
続日本百名城No.174の大内氏館へ行ってきました。現在は、大内義隆公の菩提寺として龍福寺と呼ばれる方が一般的でしょう。敷地内には大内氏や毛利氏の歴史が展示されている資料館があり、大内家と毛利家の関係が良好なものであったことが展示されていました。大内氏滅亡の後、龍福寺建立を指示したのが毛利隆元公であるとのこと。毛利隆元公は人質でもあったのですが、大内家を支える武将として期待がかけられていたのでしょう。躑躅ヶ崎館や足利氏館のように政治の拠点としての城ですので、目立った石垣や大きな掘など防御のための建築物はありませんが、大内氏がこの地で栄華を誇った様子が見所になります。北側に土塁跡があります。高城嶺と大内氏館はセットで百名城に登録されているのですが、今回の訪問はこちらだけだったので、次回には高嶺城も行ってコンプリートを目指します。
大内館の跡地に毛利隆元公が大内義隆公の為に建設した『龍福寺』に初訪問しました。庭は大きく無いけど綺麗に手入れされてました。大内義隆公の辞世の石碑がありました。
山口市は観光地が少ないのですが、その中でも見ごたえのある歴史的観光地です。大内氏の歴史について詳しく学べる資料館があり、勉強になりました。歴史好きにはおすすめです。
館跡に残る小さな庭園です。キレイに整備されています。
☆京都の足利将軍家「花の御所(室町殿)」を模した大内氏館跡🐎方形居館の内郭は東西160m×南北170m以上、更に周りには外郭を巡らせ、約200年続いた大内氏政務の中心地であり栄枯盛衰の地🤔色々な遺構跡、館跡の南東に池泉式庭園跡、北西には枯山水庭園跡、石組井戸跡・石組竈跡、屋敷内仕切復元「西門」、石組排水溝跡、復元土塁と空堀跡など遺構が何気無く盛り沢山、5度の改修痕あり、大内氏1557年(弘治3年)滅亡し終焉🔥☆大内氏館北西に標高338mの鴻ノ峰に後詰の城『高嶺城(こうのみねじょう)』※続100名城No.174⇒大内氏館・高嶺城※国指定史跡…大内氏遺跡附凌雲寺跡。
続100名城の1つ大内氏館です。現在は龍福寺となっており寺の敷地内に堀が残っていたり土塁等残っています。紅葉の時期は綺麗かも知れません。
戦国時代初期、下克上の波に飲まれて滅亡した大内氏。謀反人の陶晴賢を破った毛利元就がその後この地を収めた。大河ドラマでみた大内氏がこの地に住んでいたんだな。
高嶺城とセットで続100名城登録されていますが駅から高嶺城まで遠くて、こちらだけ見学しました。見どころは正直あまり、、、ですが、館の外周に多少、土塁の復元や門跡、水路跡などがあります。山口駅駅前のシェアサイクルがうまく借りれず、交差点角の貸自転車屋さんで普通の自転車をお借りしました。庭園が復元されていて地元のお子さん連れが水辺で遊んでいました。
| 名前 |
大内氏遺跡 館跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
083-934-2810 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
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この大内氏遺跡館跡は、山口県山口市大殿大路に位置します。ここは、14 世紀末に周防国、長門国守護であつた大内氏が築城した館跡である!築城主は大内弘世と云う!その後、大内氏は戦国大名化し、大いに繁栄するが、最後の当主である大内義長は弘治二年(1556年)大内氏館の詰城である高嶺城を築城しはじめたが、毛利元就が山口へ侵攻すると、未完成のまま城を捨てて逃亡し、毛利自害したのである!?大内氏は京都の将軍邸を模した方形居館で、増築を繰返し、築地塀又は土塀と堀で囲まれた内郭とその外側の外郭があつたと云う!?現在、見所として、屋敷地内を仕切る復元西門が造られている!他に池泉庭園、枯山水庭園がある!館跡を一周するだけで、歴史を感じさせる場所である!尚、大内氏館跡は高嶺城跡共に日本続百名城の一つに選定されている!