歴史を感じる霊廟、秀吉と足利の供養塔。
俊龍寺の特徴
豊臣秀吉の供養塔には、法名や年号がしっかり記されています。
住職がLINEをやっていないことで特に有名です。
足利氏や豊臣氏の霊廟が併設されている立派なお寺です。
住職がLINEをやってないことで有名。
▼ ここにある「豊臣秀吉の供養塔」には、正面に秀吉の法名、側面に「慶長三年」(1598)の年号が彫られていて、桃山時代のものであることがわかります。そしてほんとうに、今から400年以上も前に建てられたもののようです。その証拠は、この五輪塔のデザイン。桃山時代の特色と言われる、次の3つの条件を揃えています。1)真ん中の丸いところ(水輪)が、下ぶくれになっている。そう言えば、クレヨンしんちゃんの顔の輪郭みたいになっていますね。2)その上の傘(火輪)の厚みがハンパない。家屋の屋根を模したものとされますが、極端にデフォルメされていますね。3)てっぺんに乗る石(空輪)が棗(なつめ)型になっている。たしかに、マグカップの把手を外したような形ですね。秀吉のようなビッグネームにまつわる史跡や遺物は、明治期などにつくられて伝説が後付けで創作されるケースが多いとされます。大内氏が滅んで毛利氏が山口に移ってくるまでのギャップタームの間、県内に残る石造美術はきわめて少ないのですが、その意味でも、この供養塔は、きわめて貴重なものと言えそうです。▼ 俊龍寺は、天花(てんげ)地区のランドマークだったようです。お寺から200メートル西にある、一の坂川にかかる橋を「俊龍寺橋」と呼びますが、かつて、家々が立ち並ぶ前、この橋からまっすぐ俊龍寺まで参道が続いていた頃の風景を彷彿させます。▼ 供養塔を建てた「柳沢元政」は、鴻峰城(山口大神宮がある山の頂上付近にあったお城ね)の城番だった人物です。俊龍寺には柳沢の五輪塔もあり、高さは2メートル余り。秀吉の供養塔の高さ1メートル42センチを余裕で超えています。これが意味するものは、さて……?(内田伸「山口県の石造美術」清永唯夫編『防長歴史探訪(七)』1994年、p.129などを参考に記す)
立派なお寺です。毛利輝元が命じ家臣の柳沢元政がつくった、豊臣秀吉の鎧を納めた墳墓があります。
なぜか足利氏豊臣氏の霊廟がある。
名前 |
俊龍寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
083-922-4628 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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秀吉・義昭・義輝・義輝母の4人の供養塔があります。毛利家と彼らが縁の深かったということで作ったものですね。ここのお寺自体の名前も秀吉の戒名からとられています。