国宝・般若寺楼門の魅力。
楼門の特徴
般若寺の楼門は文永年間に建立された名建築です。
楼門は日本の国宝であり、訪れる価値があります。
コスモス寺として秋桜が美しく咲き誇る場所です。
般若寺の山門(楼門)は鎌倉時代中期の文永年間(1264年~1275年)に建立された日本最古の楼門建築として知られていて国宝に指定されています。平安時代の末期に平重衡による焼き討ち後に叡尊らによって進められた伽藍最興の際に般若寺の金堂や十三重石塔を囲む回廊の門として建立されたものです。一間一戸の入母屋造り本瓦葺きの屋根を載せている、全体的に伝統的な和様を基調としていて細部に大仏様の意匠が取り入れられている。一層部分の本柱の前後に控柱を設け柱の間の中段と下段に貫を通し山門を補強している、上部には漆喰の白壁を嵌めていて本柱の内側に縦板張りの門扉を付けていて外側に小さな瓦葺きの屋根を載せる袖塀を付けています。二層部分には三間(部屋)を設けていて、中央間に板唐戸を付け両脇間には連子窓を嵌めている、床面には高欄を付け縁を廻らしている。中央間の上の梁に寺号の「般若寺」扁額を掲げています。
こっちが正門だったのかな。
小さな路地に突然現れる古びた小さな仏教系建築物がまさか国宝とは誰も思わないはず奈良にある国宝でもかなり目立たず、脚光を浴びない建築です。その鄙びた姿はあまりにも自然すぎてこれが建築された当初の姿を維持している稀有な被造物とは信じがたい美しさです。
2025.10.25国宝の楼門コスモスが咲き乱れる境内の端にあります。
般若寺伝によれば、飛鳥時代に高句麗僧 慧灌(えかん)法師によって開創されたと伝えられています。建長7年(1255)叡尊により復興され、以後は真言律宗の寺院となりました。般若寺楼門は鎌倉時代の1267年頃に建立されました。楼門は本瓦葺、一間一戸楼門、入母屋造です。国宝に指定されています。
般若寺の楼門は文永年間(1264~75)の建立だそうです。鎌倉時代に建てられた一間一戸の楼門では現存する、唯一の建物だそうで、国宝に指定されています。
般若寺の楼門ですが、実際には使用していないのではと思います。古さに味があって良いと思います。ただ古さは感じるので改修は近々必要だと思います。
お寺の中からは見たことあったけど外からは初めて。歴史を感じる立派な門ですね。
般若寺唯一の国宝だが、近くで見る楼門はもうぼろぼろ今にも倒壊しそうである。飛鳥時代からあるといわれる般若寺は、奈良時代、平安時代へと続くが、結局、平重衡の南都焼き討ちで全焼する。鎌倉期に入って、般若寺は徐々に再建されていく。そのひとつがこの楼門である。再建された般若寺には、その後さらに兵火、廃仏毀釈などが襲い、境内はあれ荒み、近年まで廃寺の様相だった。生き残った楼門は静かに沈黙しているだけでなにも語らず。
| 名前 |
楼門 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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般若寺楼門はんにゃじろうもん建造物 宗教建築 / 鎌倉奈良県鎌倉前期 / 1264-1274頃一間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺1棟奈良県奈良市般若寺町重文指定年月日:19030415国宝指定年月日:19530331般若寺国宝般若寺楼門 一棟般若寺は、高句麗の僧慧潅法師が精舎「般若台」を開創、その後聖武天皇が伽藍を整え勅願寺としたと伝える。鎌倉時代に復興され、建長五年(一二五三)頃石造十三重塔が完成し、文永四年(一二六七)には、叡尊発願の文殊像が供養された。楼門の建立も文永頃と考えられる。一間一戸の珍しい楼門で、上階は桁行三間、梁間二間をなす。ほとんど和様からなっているが、肘木及び実肘木に大仏様の影響を受けた繰形を有する。ことに肘木鼻に繰形をもつのは、類例の少ない手法である。全体に形態がよく整い、意匠的にも優秀な遺構で、鎌倉時代における異色ある楼門である。文化遺産オンラインHPより。