大久保長安の謎を探る。
大久保石見守墓所の特徴
大久保長安が生前に作った墓地そのものです。
大久保石見守長安の歴史的意義を体感できます。
見学しながら墓地の謎を考えるのも楽しいです。
大久保石見守長安。元々は武田家の家臣で黒川金山などの鉱山開発に従事した人物です。武田家滅亡後、家康に仕えました。そして初代石見銀山奉行をはじめ佐渡奉行、伊豆金銀山奉行を兼任するに至ります。大久保石見守長安は八王子に8,000石の所領を持ち、陣屋も八王子にありました。ですから石見銀山奉行と言っても、石見に常駐していたわけではありません。1601年から1613年までの任期の間に6回巡視に訪れたにすぎないのです。大久保石見守長安は1613年6月13日(慶長18年4月25日)に亡くなりますが、その後不正蓄財が問われます。佐渡石見などから出た金銀の横領を疑われたのです。家財は没収され、嫡男の藤十郎をはじめ7人の子供と腹心が切腹を命じられました。大久保家は断絶です。しかし死の直前に家康から「徳川家秘伝の薬」が下賜されたり、埋葬がゆかりの深い甲斐の国に予定されるなど、ずいぶんと厚遇を受けています。ところが一転して「謀反人」扱いとなってしまいました。急転直下の人生です。でも本当に横領をしていたのでしょうか?近年の研究では家康の腹心、大久保忠隣と本多正信が仕組んだ罠だったともいわれますが、詳細は霧の中です。ところで、かつて「今太閤」と言われた人物がいました。この人も「収賄」の疑いで急転直下の人生を送ります。一説には彼の手腕を恐れたC*Aが仕組んだ罠とされますが、これも依然霧の中です。
生前に大久保石見守長安が作ったお墓とのことですが、実際に長安本人が埋葬されてはいません。すぐお隣に廃寺跡地があり、真ん中にはお寺の本堂跡の空間、周囲には墓石が大量に並んでいます。本堂跡のところには少し傾いたお地蔵様があり、夕暮れ時間に行くと恐怖しか感じません…私は霊感も何にもありませんが、敷地内に入ってはならぬ雰囲気を感じて、全身鳥肌でした。何かを感じてみたい方は、是非立ち寄ってみてください。
なぜこのようなところに墓を作ったのか。
名前 |
大久保石見守墓所 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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大久保長安が生前に作った墓地の一つ。