旧佐賀藩の鍋島開墾地。
御成街道跡の特徴
御成街道跡は徳川家康公の鷹狩りのために整備された場所です。
明治初期に旧佐賀藩鍋島家が開発した鍋島開墾地が隣接しています。
現在は遺跡保護のために立ち入りができない希少な史跡です。
徳川家康公の鷹狩りのために普請したのが東金御成道(とうがねおなりみち)である。佐倉街道船橋宿〜実籾〜金親〜御茶屋御殿〜上砂〜東金御殿と概ね直線で凡そ40km近くにわたって続いている。自衛隊下志津駐屯地や八街市沖地区の開拓地など、途中完全に消滅してしまった場所もある。街道の距離などの目印となった一里塚は、現存するのは千城台東、富田町、上砂と3箇所だけである。またこの場所のように江戸時代の街道の形をとどめているのはとても貴重であり、地主の方に感謝申し上げたい。御成街道沿いをはじめとする千葉市若葉区から八街市、香取郡多古町、成田市、富里市、佐倉市周辺は🥜落花生栽培が盛んで、10月から12月にかけての晩秋の風景である「ぼっち」(収穫した落花生の乾燥のための野積み)がひろがる。掘り起こした落花生の実や茎が付いたまま実を内側にして畑に積み重ねて、頭に稲わらやブルーシートなどの帽子を被せて1箇月ほど天日干しにしてから出荷される。昔は稲藁の帽子しか見なかったが最近ではブルーシートが増えた。稲藁とブルーシートではどちらが仕上がりは良いのであろうか。値段の安い中国産が出回って久しいが、千葉県北総台地産の落花生の味は比較にならないほど美味しい。このクチコミをご覧になったみなさまには、是非ともぼっちの風景もたのしんでいただきたい。 (再)
此処の御成街道跡より東側は、明治初期に旧佐賀藩鍋島家によって開発された『鍋島開墾地』であるという。鍋島家家臣、深川亮蔵が土地を購入し、佐賀藩士族に開墾の役を与えたという。その結果、沖地区の御成街道は旧佐賀藩という【明治維新の巨人】の『地ならし』(地均し)発動によって破壊され、沖台地の東の周縁までの約1.5㎞に亘ってほぼ消滅(極一部残存)した。江戸幕府の権勢を顕示し、長期に亘って何らかの目的の為に維持管理されてきた直線状の街道も、幕末の倒幕派勢力薩長土肥の一つであった肥前佐賀藩によって消滅の憂き目に遭った事は、なんとも皮肉な事である。
| 名前 |
御成街道跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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今は遺跡保護の観点から入れません。車で行く場合近くはダートなので気をつけて。