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名前 |
大領神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.0 |
昔、奈良時代に和歌山(紀伊国)の祇園神社の神さまを、今の市場村にお迎えして祀ったんだ。それから時代が流れて南北朝時代、南朝の武将・脇屋義助の家来だった多留見悪四郎って人が、戦に負けて福井の城から逃げてきて、美濃の根尾城にたどり着いた。でも義助は吉野に戻って、悪四郎はこの地に残ることにした。そのとき、彼の願いで神社を修理したのが、多留見村の始まりって言われてる。そのあと、村の人たちのお願いで神社がもう一度建てられて、根尾谷にある19の村の総社(みんなで祀る中心の神社)として大事にされるようになった。毎年3月15日にはお祭りがあって、19の村から子どもたちの狂言(演劇)なんかが披露されて、大垣藩の役人も見に来てたんだって。明治維新のときには、春日神社が郷社、元の大領社が根尾谷の総社になって、境内の土地は19の村の共有になった。昔のことはあまり詳しくわかってないけど、明治11年に村の神社として正式に登録されて、ちゃんと祀られるようになったんだよ。